第3章 家庭は天国の中心模型 : 六 家庭は心情的な訓練場所 :

 私たちは心情を離れては生きられません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なすべての権威をもったとしても心情的な喜びを表せるところがなければ生きられません。自分が率いる人たちや閣僚たち、あるいは追従する人たちには心情的な満足を感じることができません。それは家庭で感じなければなりません。
 家庭に帰ってきて夫婦が互いに通じて喜びを感じ、また子女を通じて喜びを感じることができなければなりません。そうしてその喜びを他の人に誇ることができなければなりません。その喜びは第一次的な喜びであって二次的な喜びではありません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても家庭のない神様は喜ぶことができないのです。結局、家庭がなければならないのです。

 家庭では父母を中心としなければならないし、社会を代表する教育機関では先生を中心としなければなりません。父母は自分に乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発展を助け、それで情緒的な面を助けてくれるのです。では、学校とは何でしょうか。社会的な生活、生来の生活舞台を中心として訓練させるのです。家庭が情緒的な訓練場なら、学校は社会においての実験的な訓練所です。
 社会で終わるのではありません。それがどこに帰結するのでしょうか。国に帰結します。国には国王がいます。人々がみな大統領を慕い、大統領の近くにいようとする理由は何でしょうか。家庭から社会まで、すべてのことを知ってから、それからどこに行くのかというと、もっと大きなところに行くのです。
 大統領といえば蘇生、長成段階を越えて三つ目の段階の結実です。種が根から始まって循環作用をして分かれます。分かれてここで統合され、花が咲き、実を結ぶのです。ですから学校も国のための貴重な中心人物になり得る人、人材を養成し国に必要な人を育てなければならないのです。学校でする勉強とは何でしょうか。訓練です。ですから学校は訓練場所、実験場です。訓練は実戦ではなく準備段階です。準備を誤ってはなりません。
 家庭とは何でしょうか。心情的な訓練場所です。愛を中心として心情的に訓練する場所です。ですから情をもって兄弟のように学校で生きなければならないし、情をもって国でも兄弟のように生きなければならないのです。父母のこのような教育は学校のための教育であり、社会のための教育であり、国のための教育になるのです。
 父母は情緒的なすべてのことを子供たちに伝授してあげなければならないのです。父母が生きたのと同じように家庭ではこのように生きなければならないし、社会ではこのように生きなければならないし、国のためにはこのように生きなければならないという情緒的なパターンを築いてあげなければならないのです。

 皆さんが家庭のことを見るとき、家がよく、その周りの環境がいいからといっていいのではありません。反対にいくら環境が悪く、家がみすぼらしくてもそれを安息所として、そこに自分の事情と生涯と生活のすべての基準を因縁づけようとする家庭がいい家庭なのです。そこには親と子の間に、互いのために生きようとする心情があります。これが思い出の本郷であり、すべての生活の動機になるので私たちの生活において幸福を左右する基礎になるのです。