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第2章 家庭を中心として愛の法度 : 七 家和万事成 : |
我が東洋の教訓の中で「家和万事成」という言葉がありますが、それはとてもいい言葉です。家といえば、そこはもちろん人が中心になっています。おじいさんとおばあさん、父母、子供、このようにいますが、それだけではありません。家自体は万物を縮小したものです。そこにすべて集まっているのです。
そのように考えるとき、我が家といえば、普通「そこは父母がいる所であり、妻子がいる所である」と考えるのです。しかし、我が家とはいえば、それだけではないというのです。おじいさんとおばあさんがいて、そのほかにも家があり、庭があり、すべてのものを縮小したものの中に環境がよく調和しています。そうしてこそ気分がいいのです。合わない環境に、うちのおじいさんとおばあさんがいれば、気分も良くないのです。
おばあさんとおじいさんが互いに向かい合いながら笑う姿は、若い夫婦がうれしくて、大声で「へへへ」と笑う妻とは比較できません。「ほっほっほっ」といいながら、しわが寄ったおじいさんとおばあさんが笑う笑みはすてきだというのです。知らないからそうなのであって、すべて和合する、互いが相応する立場で笑うおじいさんとおばあさんの笑みがあることによって、すべてのことが和動するというのです。おじいさんの笑いは深くて、「はっはっはっ」と笑います。手ぶりをしても、動作はのろいのですが、広く、気高く、深く、大きくするのです。
すべてのことが上・中・下の三段階で連結されてすべての調和が始まらなければなりません。
それゆえ、調和というものは一線上の二点では成されません。二点を通過するものを線といいますが、ニ点上では調和の美がないのです。直線なのにどうして調和の美が生まれますか。ねじれ、曲がっていてこそ調和が生まれるのです。それゆえ、三点以上を経る、ここに調和が生まれるのです。ですから、おじいさんがいるかと思えば、中間にお父さんがおり、次には、その下がいます。大体家庭を四代として見るのです。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、それから自分の夫婦、それから子女がいます。
層々侍下(父母・祖母など世話すべき人が元気でいること)という言葉があるではないですか。層々侍下が何層になるでしょうか。いくら多くとも、もちろん四代、五代まで暮らす家庭がときどきあるでしょうが、普通は四代です、四代。おじいさん、お父さん、それから私たち、子女、このようになっているのです。こう見れば、私たちの統一教会の原理は三段階です、三段階。蘇生、長成、完成。
ですから「和」する家庭、「家和万事成」といいますが、その「家和」になれば、なぜ「万事成」でしょうか。「家和」になれば、すべてのことが成されるというのですが、なぜそうでしょうか。言葉だけでそうでしょうか。詩的で詠みたくてですか。そういうことではありません。違います。「家和」、これはおじいさんとおばあさんを中心とした四代が上に、下に、東西南北に、前後左右上下に和合して、笑顔の花が咲くことをいうのです。