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第12章 真の家庭を求めて : 六 堕落はフリーセックスの根であり個人主義の先祖 : |
神様はエデンの園にアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器をもつことを共に許されましたが、何のためにそうされたのでしょうか。彼らが成長すれば、神様が彼らを結婚させてくださるでしょうか、させてくださらないでしょうか。問題は彼らの堕落にあります。堕落ゆえに血統が変わったのです。
それゆえ、神様は彼らをエデンの園から追い出されたのです。本来、神様の体となるべきアダムと、神様の婦人格に立つべきエバが堕落することによって、神様ご自身の亜体と理想を病気にかからせ、怨讐になったので、それをご覧になった神様のご心情がどれほど大変だったでしょうか。堕落は自らを埋葬する墓です。人のものを奪い取っていく行動です。言い換えれば、堕落はフリーセックスの根になり、個人主義の先祖になりました。
今日、アメリカはどのような国ですか。極度の個人主義、分に過ぎる私生活の追求、フリーセックス、このようなことを神様が好まれると思いますか。
極度の個人主義を追求すればどうなるでしょうか。彼らの言うとおりにすれば、天と地、世界、国家、社会、家庭そのうえ、おじいさんやおばあさんまでも、すべて放り投げてしまい、父母と兄弟までも失ったまま、ジプシーやヒッピーになって好きなようにさすらいながら雨が降り、雪が降れば、行く所がないので、自殺して一生を終えようという話ではありませんか。
しかし、人間の本心は極度の個人主義やあきれるほどの私生活の保障を願っていません。宇宙と国家、町と村、そして父母の愛を受けながら暮らしたいのが私たちの本心の願いなのです。しかし、そうできない反対の道を行くので良心に火がついて本心との葛藤を感じるようになり、簡単に薬を飲んで自殺することがよいと判断し、自ら首を締める現象がだんだんと増えつつあるのです。「蒔いたとおりに刈り入れる」という真理がとてもよく合うのを目撃するのです。
アダムとエバがエデンの園でどのような種を蒔いたでしょうか。フリーセックスの種、すなわち、節制のない性関係の種を蒔きました。それを否定できますか。そうしたために、彼らは下半身を覆ったのです。幼児たちも父母が隠しておいた大切なお菓子を盗み食いして、見つかれば手や口を隠すのが本性の作用ではないでしょうか。
もし、善悪の実を取って食べたなら、その取って食べた手や口を覆うべきなのに、なぜ下半身を覆ったのかというのです。堕落は淫乱によって引き起こされたということを否定することができません。
では、どこで天国と地獄が分かれるのか調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。まさに皆さんの生殖器です! 深刻なことです。これが天地をひっくり返しました。この事実を誰が否定できますか。レバレンド・ムーンが発表した原理の本の堕落論に、説明がなされています。疑問に思うならば神様に尋ねてごらんなさい。
皆さんとしては夢にも想像できない内容と理論をもって、体系立てておいたレバレンド・ムーンの原理の本に、誰も反対することはできないのです。生殖器を目がつぶれた盲人のように、方向を失ったまま使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛に基準を合わせて使えば、天国の高い所に行くのです。これは明白な結論です。
ですから、絶対純潔(絶対性)は神様を中心としたものであり、フリーセックスは自分とサタンを中心としたものです。歴史的に政治家や経済人たちは、文学作品やメディアを通してフリーセックスを刺激することが多くありました。ですから、今から私たちはみな、政治家や経済人、文人、作家と言論人たちと一つとなって先頭に立ち、フリーセックスを防がなければなりません。フリーセックスは、完全になくならなければなりません。