第11章 家庭は永遠の幸福の土台 : 八 統一教会は家庭天国を築こうとするもの :

 私が今、教会をつくらないのは、すべて考えがあってのことです。教会にたくさんの人が必要なのではないからです。天国は教会から成されるのではなく、家庭から始まるのです。家庭、すなわち新郎・新婦から始まるのです。女性は男性に巡り会うために生まれ、男性は女性に巡り会うために生まれました。
 赤ん坊が眠りから覚め、初めて目を開けながら呼ぶのが、「お母さん」です。赤ん坊がお母さんを呼ぶ以上に、夫は妻を呼ばなければなりません。このように呼んでみなかった人は、かわいそうな人です。また、妻も夫以上にそう呼ばなければなりません。互いがそうできる夫婦として対さなければならないのです。
 琴瑟之楽(=夫婦仲がとてもよいこと)の夫婦として、互いにそのように呼び合いながら暮らさなければならないというのです。そのように千年万年暮らせば、老いても青春がうらやましくないというのです。

 男性と女性はみ言の時代を経て、実体の時代を経たのちに初めて、相逢うひと日が成されるのです。そして、相逢うひと日が成されたのちに初めて、天国生活をすることができるのです。相逢うひと日には、彼の心が「私」の心であり、彼の心情が「私」の心情であり、彼の姿が「私」の姿であり、彼の困難が「私」の困難であり、彼の傷が「私」の傷として感じられ得る境地にまで入らなければなりません。
 そのような境地に入って、彼の心情も「私」の心情になってこそ、天国家庭が成されるのです。これがこの地上で完結されてこそ、天国家庭が生まれるのです。
 真の愛とは何でしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。愛は互いが犠牲になる伝統を備えなければ、長くは持続できず、壊れる定めです。父母が子供のために犠牲になるがゆえに、父母が子供を愛する因縁は壊れないのです。そして、真なる父母の愛を受けて育った息子・娘なら、自分の父母に絶対に不幸をすることができないのです。
 また、夫は妻に、妻は夫に対して「あなたは私のために生きた」という立場で、互いが与え合い、一層犠牲になる立場が広がるようになるとき、その家庭には福が訪ねてくるのです。そのような家庭が、神様が訪ねてこられる福地なのです。
 天国生活はどこから始まるのでしょうか。家庭からです。ほかの所から始まるのではありません。天国は家庭を立体的に拡大させただけであり、家庭圏を外れたものではないのです。それゆえ、皆さんが自分の妻や夫を抱くとき、これは世界の男性と女性が一つとなるのだという考えをもたなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立てることのできる場が、まさにこの家庭です。
 今、先生は家庭に対する規範、天国家庭としてももつべき生活に対する規範を教えてあげなければならないということを感じています。わが統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を主とするのです。これからは、わが統一教会で礼拝を捧げるのも、説教形式ではなく、報告形式でしなければなりません。報告の内容は、その家庭が誇ることのできるものでなければなりません。
 ですから、家庭全体が来て、礼拝を捧げなければならないのです。そうしながら、立派な家庭を見ては倣い、劣った家庭を見たならば、うまくいくように導いてあげなければならないのです。そうして、家庭天国を建設しようというのです。家庭天国を先に成せなければ、地上天国は成されないということを、はっきりと知らなければなりません。