第11章 家庭は永遠の幸福の土台 : 六 愛する人が死ぬとなぜ悲しいのか :

 愛する人が死ぬと、なぜ悲しいのでしょうか。愛する人が死ぬと、それを即時に感じますが、それはこの宇宙に満ちている超人的な力の作用によってです。人は自分にこの力が入ってくれば入ってくるほど、神様との縦的関係を中心として、宇宙的な力を感じるようになるのです。ところで、愛する人が死ぬと、その力が自分から離れるようになります。そして、離れた結果を即時に感じるようになるのです。
 これは悲痛なことです。自分が完全な合格品にならなければならないのに、それによって不合格品として決められるのです。私たちの人生は、完成を追求します。ところが、それと反対の不合格の要素をもつときは、そこに比例する宇宙の力が追い出すのです。そうなれば、それが苦痛として現れるのです。皆さんはこれをはっきりと知らなければなりません。

 愛する父母を失ってしまえば、言葉にできない悲痛さを感じてこそ孝子です。父母も子供を失ってしまえば、悲痛さを感じます。夫婦同士も、同様です。私たちの後孫たちも、同様です。これは千年万年変わらないのです。
 皆さんの夫や妻が死ぬと悲しいでしょう。なぜなら、宇宙の原則は父母と夫婦と子女……。三段階が一つとなって、神様を中心として四位基台を形成するようになっています。この宇宙の原則によって、不合格者は合格圏内から追放されるので、苦痛と悲しみを感じるようになるのです。
 皆さん、妻が死ねば、夫がなぜ涙を流すのでしょうか。第三目的である、息子・娘を得ることのできる道がふさがれたからです。それを成すことができなければ、倒れるしかありません。死ぬしかありません。ですから、泣くしかないのです。電気を見れば、陽(+)電気と陰(−)電気がありますが、この二つのうち一つがなくなれば、残りのものも何の作用もできないのです。人が行く道もそれと同様です。

 自分の息子・娘がいなければ、不幸を感じるのです。「息子・娘がいなければ、夫婦だけで仲良く過ごせばいいだろう」と考えるかもしれませんが、そうではありません。天理法度が四位基台原則になっているために、男性と女性が出会って一つとなったなら、必ず息子・娘を生んで、四位基台を成さなければなりません。これが宇宙の公法です。四位基台を成すことができなければ、合格できないのです。
 また、息子だけでもいけません。息子だけいれば、息子に対する愛の味は分かりますが、娘に対する愛の味は分からないからです。皆さん、蜜の味がどうだと、誰かが説明して分かりますか。それは、説明だけではだめなのです。説明する前に、直接口を開けて食べさせてあげてから、これが蜜の味だと教えてあげなければならないのです。
 それでは、息子がいなければなぜ寂しく不幸だというのでしょうか。娘だけをもった人は、息子をもった人を見れば、この世でそれ以上望むものはないといいます。西洋の人々は、そのような面で少し鈍いのです。彼らは個人主義思想を強調して、そのような感情はすべて失ってしまったのです。失ってしまったために、再び探さなければなりません。ですから、今それを再び探すために、東洋思想に帰ってくるようになるのです。
 ですから、夫がいて、妻がいて、息子・娘がいる家庭にならなければならないというのです。そうして、彼らが完全に一つとなって、初めから目的地まで天運と歩調を合わせていけば、この家庭は永生するのであって、一人では永生できないのです。たとえ永生するとしても、永遠の世界で苦労というふろしきを包んで、行き来するようになります。幸福という要件を受けることができません。