第10章 復帰すべき人類の真の家庭 : 七 統一教会は本然の真の家庭を探すためにある :

 歴史時代のすべての宗教は、今まで何をしてきたのでしょうか。今まで、男性一人を再び探してきたのです。今までの宗教は、相対の因縁を許しませんでした。新しいものを許しませんでした。そのように進んでいけば滅びるようになります。けれども、一人を探してくる歴史時代において、男性を見つけ出したということのできる基準まで行くようになれば、そのあとには女性を探し出さなければなりません。ゆえに統一教会は何をする所かと言えば、家庭を探し出す教会です。
 今までの宗教の目的は、個人を救うことでした。しかし統一教会は、個人の救いよりも家庭の救いを目的としているのです。救うのも家庭を救い、天国に行くのも、一人では行かないというのです。統一教会の救援観は、夫は天国に送り、妻は地獄に送ろうというものではありません。二人とも天国に行こうというのです。また、お母さんお父さんを地獄に送るのではなく、お母さんお父さんに侍り、また息子・娘も連れて天国に行こうというのです。統一教会は、自分が愛する家庭、自分が愛する氏族までみんな連れて天国に行くことのできる道理を教えてくれる宗教なので、他の宗教とは次元が違うのです。
 ですから、今までの宗教は、独身生活を強調しましたが、統一教会は家庭を重要視するのです。家庭を中心として行くのです。その家庭は世界のための家庭であり、神様のための家庭です。これが、統一教会の信徒たちが行くべき道であり、今後、皆さんが生活していくべき道であることをはっきりと知らなければなりません。

 法を超越し、制度を超越し、環境のすべての背景を超越し、永遠に共にいたい因縁を結ぼうというのが父母の愛であり、夫婦の愛であり、子女の愛なのです。
 これを無視した社会制度はあり得ないし、これを無視した国家は形成され得ないのです。ですから、統一教会は個人教会を願うのではなく、家庭教会を願うのです。統一教会は、個人の救いを願うのではなく、家庭の救いを成就しようというのです。統一教会はこの点が違います。
 すべての人間たちが、最後にもつべき共同的な目標であり、行くべき共同的な関門は何でしょうか。国でもないし、世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。共産主義世界がある前に、本然の家庭がなければなりません。また、民主主義世界がある前に、民主主義世界を創建できる、本然の家庭がなければなりません。それでは、今までここに対する秩序がどこにあり、ここに対する教育がどこにあり、ここに対する目的、基準がどこにあったでしょうか。このような決定的基準が、この地上に現れなかったというのです。これが現れる前には、平和の王国、平和の理想国家、平和の国はあり得ないのです。
 ですから、私たちが願うのは、このような理想的家庭、本然の家庭、生きるべき家庭、出会うべき家庭、探し出すべき家庭が、この地球上に必ず現れ、人類歴史と共に、運命を共にできる一時が来ることです。そうしてこそ、地上に対する神様の摂理が成就されるのであり、安息の福地、安息の巣が出発するというのです。

 私たち統一食口の願いは何でしょうか。復帰の家庭になることです。私たちの願いもここにあり、アメリカの平和の起源もここにあり、天上天下の幸福の基点もここにあり、一つの摂理の基点もここにあります。天と地がひっくり返る天地開闢の基点もここにあり、すべての人生の価値の根源もここにあり、願いの出発もここにあります。すべてここです。では、復帰家庭の中心は誰でしょうか。真の祖先です。真の祖先は、真の父母です。