第10章 復帰すべき人類の真の家庭 : 五 イエス様がなさるべき家庭の復帰 :

 イエス様は、何をしに来られたのでしょうか。家庭を探しにこられました。救いの歴史は、復帰歴史です。病気になれば治さなければならないのです。イエス様は、堕落した人間を救うために来られました。では、救いとは何でしょうか。家庭を失ったので、それをもう一度探し出すことです。もう一度探し出そうとすれば、どうすべきでしょうか。失った本来の場所に帰らなければ探し出すことはできません。
 では、どうして人間が家庭を探し出さなければならないのでしょうか。イエス様は、どうして家庭を探しにこなければならないのでしょうか。それは本来の家庭を失ってしまったからです。病気になったので、病気を治さなければなりません。つまり、堕落したので、復帰しなければならないのです。

 神様は、原理・原則に従って運行される方であられるということを知らなければなりません。アダムを失ったため、サタン世界からもう一度捜してこなければなりません。アダムが過って、夫の役割を遂行できなかったため、アダムはエバを支配し、治めることのできる位置にいたにもかかわらず、エバをサタンに奪われました。それで、サタン世界からもう一度捜してこなければならないのです。
 ですから、エバを再び捜してくるなら、闘わないですむでしょうか。国の基盤から教会の基盤、氏族の基盤、家庭の基盤を神様は準備されました。そうしてヨセフ家庭を立てられ、ザカリヤ家庭を立てられました。それゆえ、ヨセフ家庭のイエス様と、ザカリヤ家庭の洗礼ヨハネが一つになったならば、短い期間にみ旨が成されたはずです。
 洗礼ヨハネがイエス様を信じたならば、どうなったでしょうか。また、洗礼ヨハネの妹を、イエス様が新婦に迎えていたならば、どうなっていたでしょうか。み旨は成就できたはずです。こう言えば、キリスト教徒たちは、すぐさま反対するでしょう? 大変なことになったと大騒ぎすることでしょう。しかし、いくら反対してみても……。皆さんが、今反対していますが、霊界に行ってみれば、レバレンド・ムーンがうそを言わなかったことが分かるはずです。
 元来、アダムとエバが、実体の父母として一体となり、神様の創造理想である家庭の完成、すなわち愛の家庭理想を完成しなければなりませんでした。ところが、これができなかったので、それを完成させるために、イエス様が来られなければならなかったのです。そして、イエス様が来られ、新郎の位置で新婦を迎えなければならなかったのです。そうして、神様の愛と一つとなり、エデンの園で堕落せず完成できた本然のアダムの位置を復帰し、その愛で結ばれれば、誰も二度とは堕落させることができないのです。
 神様のみ旨が何かと言えば、男性完成の基準と女性完成の基準を立てておき、アダムとエバが神様の愛を中心として、神様の家庭を築くことでした。ところが、神様の家庭は築かれましたか。神様の家庭は築かれませんでした。イエス様はこのような神様のみ旨を知っておられたし、また信じました。しかし、ユダヤ民族の不信で、イエス様のためのイスラエル民族の四千年歴史の基盤とユダヤ教が崩れ、イエス様は十字架で惨めに亡くなられました。
 このような胸が詰まるイエス様の事情を今まで誰が知っていましたか。誰も知りませんでした。今日、この文という人が、このような話をしてあげるので皆さんが知るようになったのです。これが事実ならば、イエス様がどれほど喜んでおられるでしょうか。新郎になられたイエス様が、新婦になられる真の母を探し立てなければ、神様の家庭完成は不可能です。イエス様の家庭が築かれない限り、神様のみ旨は永遠に成されないのです。
 神様を中心とした家庭を復帰できなければ、国も探し出せないし、世界も探し出せないので、イエス様も、この地に来て、神様が愛する家庭を築こうとされました。ですから、一人の新郎として、新婦を探し出さなければなりません。一人の男性を中心として、真の父母も現れ、真の夫婦も現れ、真の兄弟も現れることができるので、これを決定的に成すと預言したのが、子羊の婚宴の時に新郎・新婦を迎えようというのです。