第9章 真なる子女教育 : 八 世界とともに生きることのできる教育 :

 宗教は元の教えです。神様の元の教えは人類を教え、人類を愛そうというものです。それ以外にはありません。ですから真の父母は子女に対して、世界が喜び、神様が喜ぶことを教えてあげます。人倫では、父母を愛し、夫婦同士愛し合い、子女を愛しなさいと教えます。皆さんは誰のために父母を愛さなければならないのか、考えてみましたか。誰のために夫婦が愛し合わなければならないのか、誰のために子女を愛さなければならないのかを考えてみましたか。
 愛することに責任を取ってくださる主人公を失ってしまった人間です。神様は無限の愛を語られました。最後に残るものは愛だとおっしゃいました。その愛は神様の愛です。皆さんは慕うその目的を知らなければなりません。愛する目的がなければなりません。誰のために愛しますか。神様のためです。神様のために愛さなければなりません。
 自分のために愛する者は死んでみてください。どこへ行くか。皆さんが子供を産んで乳を飲ませかわいいと言いますが、誰のためにかわいがりますか。それは天と地の身代わりとしてかわいがらなければなりません。この国、この世界のために、神様のためにかわいがらなければならないのです。神様の愛に従った天倫の運勢は世界を越え、天地を包容するために動いています。それなのにその縁を通じて生まれた息子・娘を自分のために愛するならば、それは許されないというのです。
 子供を抱いて乳を飲ませるおばさんたちに、天と地を身代わりして神様の愛する息子・娘を抱くという切実な心情で自分の息子・娘を抱かなければなりません。皆さん、恵みを受けることを願いますか。永生することを願いますか。そうするためには、公的な人にならなければなりません。子供を教育するとき、自分の息子・娘としてのみ愛してはいけないというのです。世界の人々のために祭物的な息子・娘として愛する父母にならなければなりません。そして、子供を胸に抱いて乳を飲ませる時にはこの地球上の人類を代表した父母の立場で、人類を代表した赤ちゃんに乳を上げるという心で与えなければなりません。そして自分の子供にだけかわいいといって乳を飲ませるのではなく、他人の子供にも自分の子供だという心情で対するお母さんになってください。
 そのようなお母さんの乳を飲んで育つ赤ちゃんたちは必ず偉大な人物になることでしょう。すぐにはならなかったとしても、一代二代を経ていくうちに必ずその後孫の中に世界を動かすことのできる人物が生まれることでしょう。これが公式です。そのようになるのです。
 素晴らしいお母さんたちは子供を胸に抱いて、世界を動かすことのできる善なる存在になるためには、どのような困難な立場でも耐えられなければならないとその子供に教えます。それはお母さんたちが、善は滅びないという天理を知っているからです。善は何によって動くのでしょうか。私のためにではありません。ご飯を食べるのも私のために食べるのではなく天宙のために食べなければなりません。
 花嫁を迎えるのも自分のためではなく、み旨のために結婚しなければなりません。世界を目標にしなければなりません。経験するのも世界を中心としなければなりません。そのようにする人は格好が悪く見えても本当に味のある素晴らしい人です。七十年ないし八十年の瞬きをするような人生を過ぎれば永遠に生きる道があるのに、人間はそれを知らずに生きています。永遠に生きる世界の時間圏内に入ってその世界と連結させることのできる道を知れば、その永遠は私のものになるのです。
 ご飯は粟飯を食べ、服はたとえ見すぼらしい風呂敷のようなものをまとっていたとしても、世界を中心として「昔、家がこうだった時、このような人はこのように生きてこのようになった」と言うことのできる、幅広く絶え間ない話題をもっている人が住んでいる所ならば、そこにいる子供たちは優秀な人になるというのです。