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第9章 真なる子女教育 : 六 勉強は何のためにするのか : |
勉強したくて学校に行く学生がどこにいますか。みな初めは仕方なく通うのです。なかでも、特に小学生たちは親が怖くて仕方なく通うのであって、勉強したくて通うのではありません。初めはみなそうだというのです。仕方なく通ってみると、あとでその味を覚えて、学ぶために通うようになるのです。そのようになると、お父さんとお母さんは驚くのです。その味を感じ、そのような刺激的な内容がそこにあるということを知れば勉強するのがおもしろくなるのです。
そのおもしろさということ自体を見れば悪いものです。しかし相対的に勉強してみると自分が思いどおりにできる範囲が広くなるので、そこに味を覚えて勉強するのです。勉強すること自体が好きな人は一人もいません。勉強することによって自分の活動できる範囲が広がるので好きになるのです。
学校に行く学生に対して親は「一生懸命勉強しなさい」と言います。それは易しくない道です。苦痛の道です。しかしそれは未来のために準備しなさいという予告です。教授たちが壇上に立って弟子たちに一生懸命教えるのも、未来のための準備です。農夫が田畑に行って一生懸命働くのも、未来のための準備です。この国に天国を建設するための準備です。
皆さんは学校へ何のために行きますか。学校へ行って勉強してどこに使おうと思いますか。それは幸福のためでしょう。幸福は愛を抜いてはあり得ません。ですから学校へ行くのは愛の道を短縮させるためといえるでしょう。人間において幸福の門が開かれる時とは、結婚の時です。
幸福の門を叩くために勉強するのはとてもいい方法だといえるでしょう。しかしその勉強がお金もうけのために、権力をもつためにするのなら間違いだといえます。勉強は真の愛で愛することができるように学ぶものでなければなりません。お嬢さんたちが大学へ行って学士になろうとするその結論が何ですか。いい新郎を得ようというのです。それ以外に何もありません。そしてある男性がいくら立派になったとしても、その家庭が一つにならなかったならその男性は不幸な人です。
勉強するのも真の男性に出会い真の母になるためにしなければなりません。真の母になるためには、まず国のために勉強しなければならないし、夫を真の夫として侍る真の愛にならなければなりません。このような自分になれなければ真の夫に侍ることもできないし、真の息子をもつこともできないのです。女性は真の妻となって家庭の主婦として夫と百年偕老(夫婦になって仲睦まじく共にいること)しなければなりません。
お嫁に行くために勉強するなら大学を出た人たちはみな百年偕老しなければならないでしょう。しかし百年偕老する人が多いですか、離婚する人が多いですか。調べるまでもないことです。文字を一字も知らない者たちがもっと良く共に生きるというのです。男性女性が生まれて長い教育期間を経て成熟した人格者になるのも、愛の理想的相対者に出会い幸福な暮らしをするためであるといえます。最近の世の中では結婚相手に出会うために勉強するのではないといいますが、結局は素晴らしい相対者を得るためのものであり、相対者と美しく愛し合いながら幸福に生きれば財物もついてくるし名誉もついてくるのだといえます。