第8章 真なる父母の愛 : 六 限りない父母の愛 :

 私たちが愛というものを中心として見るとき、父母の子供に向かう愛の限界点はどこまでなのでしょうか。父母が子供が幼い時だけ愛そうとするのではなく、生涯を通じて、さらには永遠を通じて愛そうとするのです。愛することによって生きがいを感じることができ、愛することによってさらに価値を感じることのできる親子の関係が結ばれるなら、無限の力と無限の刺激と無限に新しい何かがその関係圏内から生じるというのです。

 お母さんの愛やお父さんの愛は人間世界において最も偉大な愛の中の一つです。この世でいくら高い地位にある人も、自分の子供の前ではどうすることもできません。父母の愛は子供の前に無条件であり無限定です。父母の愛は愛の母体だからです。
 ですから父母の愛を受けられずに大きくなった孤児たちは何よりも父母の愛を渇望するようになるのです。孤児たちは寝る家があり、食べるものがあったとしても、彼らの胸にいつも満たされない思いと慕わしい気持ちがありますが、それが何かといえば父母の愛です。
 皆さんは愛する父母の子女として生まれました。父母の愛を受けて育てられ、大きくなったことを知るようになります。年を取っても若くても父母はその子供をいつも愛するようになっているのです。もし七十歳になる息子がいたとしても昔自分が育てたその基準をもっていつも子供を見つめるのが父母の心なのです。
 年を取っても心情はだんだん近くなり、息子に対する責任が大きくなるほど息子に尽くす心はもっと広くなることを私たちは、この世で子供に対する結びつきを見るとき、よく知ることができるのです。

 父母は愛する子供のために骨が溶けるほど苦労しますが、疲れることを知りません。なぜですか。愛するからです。自分の骨身を削ってその代価がいくらか帳簿に付けておきますか。そうしないでしょう。かえって、すべてを与えられないことをもどかしく思うでしょう。赤ちゃんに乳を与えるのに、飲まなければどうして飲まないのかともどかしく思います。
 乳を飲むことは、実は、ホースをつけておいて自分の血と肉を取っていくことではありませんか。ある意味ではどろぼうの中の最高のどろぼうではありませんか。それでもそのお母さんは赤ちゃんが乳を飲まないのをもどかしく思うのです。どうしてそんなにも愛するのですか。愛の法度だからです。

 お母さんの胸に埋もれている赤ちゃんを見るとき父母は愛を中心として愛の感触に触れ、またその赤ちゃんを抱くことによって自分の幸福よりも天地の平和の境地に入るので、いい雰囲気が芽生えることを感じるのです。
 それゆえ、赤ちゃんがいくら気性が激しくても「さあさあやってみなさい」と言うことのできる雅量の心があるのです。ですから父母は、子供を無限に愛することができるというのです。ある意味ではその赤ちゃんはホースをつけて血と肉を吸う怨讐です。しかし、そのように考える人はいないのです。
 それは何かといえば、お母さんとしての新しい希望の刺激、夫に対する新しい希望の刺激、その赤ちゃんによって見つける新しいものが多いからです。そのような時には通じる何かがあります。その境地は、誰も思いのままにすることができないものです。