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第8章 真なる父母の愛 : 五 子供に対する父母の愛は絶対的 : |
先生は幼いころ、かささぎのような鳥の巣をたくさん見ました。鳥の巣を見ようと木に登ってみると親鳥が来てつつきます。ですから、それは決死的です。一度だけではありません。追い払おうとたたかれながらも飛んでいってまた来ます。これを見る時、自分の生命を越えて、愛する雛を保護しようとする動物世界の力があることを否定できません。
人も同じです。愛のために生命を投入できなければなりません。そのような人が真の人です。本当に善なる人とはどのような人でしょうか。愛を根本とし、自分の生命を投げ出して、愛する人を保護しようとする人です。そこには主体的な善があるのであり、相対的な善の論理を立てることができるのです。これは永遠不変です。
私がアメリカのダンベリー刑務所にいた時おもしろいものを見ました。坂道を平たいテニスコートにするために毎日ブルドーザーで押す作業を、長い間しました。また、雨期になると作業が中止になったりし、乾期になるまで待つのです。二、三週間ほどたってから作業をする時そこに水鳥が雛を生んでいました。そこに囚人たちが運動がてら散歩するコースがあるのですが、そこからわずか3メートル離れた所に水鳥が巣を作りました。
その水鳥の色がちょっと見ただけでは分かりません。ですから通り過ぎる人には分かりません。その保護色がどれほどよくできているでしょうか。卵から生まれ、割れるまでは人々が通りながらも分かりませんでした。うつぶせになった姿を横から見ると黒い砂利の色のような保護色だったので分からなかったのです。それから雛が孵化し、何かをくわえて食べさせ声がちゅんちゅんとして、ようやくみんな分かるようになりました。
意地悪い者たちは、いろんなことをしてからかっていました。しかしその水鳥が自分の子供たちに対してどれほど保護力があるのかといえば、えさを探してくわえてくる時絶対に自分の子供の近くに飛んできません。他の所に下りて、雛がいる所まで引きずってくるのです。
なぜそうするのかといえば、雛たちを保護するために方向を変えるのです。そのように雛を育てていきます。この雛たちがだんだん大きくなって、人がそのそばに近づこうものなら親鳥がつついて大変です。雛を見るなというのです。
誰がそのように教えたのでしょうか。それが宇宙の力です。神様の愛を軸としてすべての水は平面的位置にあるので位置は低いですが、その平行線上の基準は変わらないようになっています。
蜜蜂が花を探し回って蜜の味を味わったら、足を深く入れ、おしりを突き出して吸いつきます。先生は蜂についてよく知っています。蜜を吸う蜂をピンセットで引っ張ると、尾が取れても花から離れません。真の愛は、そのような愛です。自分の生命までも忘れてしまうのです。
計算していくらの利益になるからというものではありません。生命までも捨てて忘れていくことのできる道が真の愛の道です。父母はその愛の道を行きます。子供を愛する父母は、子供が死地に行くなら子供のために死地に立とうとします。愛の前に自分の命をうずめていこうとするのが父母の心です。その愛が真の愛です。
ある人がこの世で誇ることのできる金銀財宝を得て血と汗を流して多くの財産を築いても、子供が死ぬ運命にさらされたならその子供を生かすためには外的なものが問題ではなく、自分の生命までも投入して生かそうとします。