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第1章 創造本然の真の家庭 : 五 アダムとエバの初愛の時間 : |
神様がアダムとエバを見て「取って食べるな」と言ったのは、彼らが愛することのできる時期になっていなかったからです。彼らは成長期にいたので成熟するまで待てとの戒めだったのです。
人間は思春期に向かいながらその一時を中心に生きてきました。そのときまで待つべき理由がどこにあるのかを知らなければなりません。ただちに男性、女性が一つになり愛すればいいのに、なぜ待たなければならないのでしょうか。愛のゆえにそうせざるをえなかったのです。成熟することのできる思春期時代までの期間が必要であるため、その期間まで過程的な要件を整えなければなりません。
それではアダムとエバが教育を受けられる姿勢とは何でしょうか。神様とアダムとエバは、父母と子女の間柄なので、その父母が行く所にはいつもついていかなければならず、主管を受けなければならないのです。にもかかわらず、二人はその立場を離れることによって本然の姿勢を崩したのです。神様は絶対的なお方なので、絶対的にそのお方に従って服従しなければなりません。
アダムとエバは万物の霊長として、父なる神様が定めてくださった期間、すなわち霊肉共に成熟する時を待たなければなりませんでした。神様もアダムとエバに「生育し繁殖せよ」と言われました。それは肉体と霊人体が完全に成長したのちに、夫婦となって愛し合い、息子、娘を繁殖せよとのみ言なのです。アダムとエバが身体的に成熟しながら一緒に出歩くようになります。一緒に行き来していてびっくりするような場面を見れば、エバが「まあ、怖い!」と言いながらアダムの胸に抱かれたり、後に隠れることが起こるようになったのです。
エバがアダムの胸に抱かれれば、怖かったのが安心でき楽になるのと同時に、アダムから強力な男性的衝動を受けるのです。アダムもまた嫌な気もせず、エバから自身とは違う性的衝動感を受けたでしょう。このような時、アダムとエバのうち、性的モーションをどちらが先に掛けたのですか。「怖い」とアダムの胸に駆け込んだエバが先に掛けたのです。その時から彼らには次第に愛の接線ができるようになったのです。
神様は愛で被造世界を創造されました。それゆえアダムとエバは、神様の愛を中心にして被造世界を愛の組織体としてつくり、神様に連結させなければなりませんでした。そのような任務をもったアダムとエバは、どんな姿勢をもって神様が許された愛を共有するようになるべきかを、考えていなければなりませんでした。この愛の問題は極めて重大なことで、彼らの生死を狙うものになりかねないのです。
愛はどこから出発するのでしょうか。個性を完成するところからです。原理で見れば個性を完成した後に愛するようになっています。思春期を経て異性に対することのできる資格を備え、天地の調和に一致して通過することのできる責任を担えるときに初めて、愛の因縁が始まるのです。
ところがアダムとエバにおいてはそうではありませんでした。彼らの愛はどういう愛でしたか。天地のすべての万物を統一させることのできる位置での愛ではありませんでした。主体的な愛ではありませんでした。彼らの愛は主体的で必然的な愛でなければなりませんでした。ところが彼らは必然的な愛で愛することができなかったのです。