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第8章 真なる父母の愛 : 三 父母の愛は永遠不変の愛 : |
父母が子供を愛する愛のその起源的な動機はどこから始まったのでしょうか。男女を中心とする愛は変わる愛ですが、そこから生まれた息子・娘を中心とする愛はなぜ変わらないのでしょうか。これは、その男女を中心とする愛から来た愛ではありません。変わらない愛は横的な夫婦の因縁でできたものではなく、縦的なある流れの起源を通じて関係ができたものに違いありません。
そのような縦的な主体は誰でしょうか。そのような主体を私たちは神様といいます。その愛は夫婦が思いのままにできる愛ではありません。その愛の前に私がしたければするし、したくなければしない立場に立つことができません。それは切っても切れないものです。横的な因縁では触れることができません。ですから、父母が子供を愛するその愛は永遠不変です。
今日、民主社会において、個人主義思想が澎拝したこの時代において、子供たちは「新時代と旧時代は次元が違う」と言いますが、子供たちはそのように変わってもその父母の心は旧時代であるとか新時代であるとか叫ぶからといって「お前がそうなら私はこうしよう」と言うようにはなっていません。父母の愛はそうではないのです。それは動物も同じです。赤ちゃんを愛するにも自分の生命を超越するのです。
それではそのような愛はどこから来たのでしょうか。私自身が第一のある相対的な結果の存在ならばその第一のある力の因縁の中から来たものです。それは、私たち人間として触れることができるものではありません。ですから「父母が子供を愛する愛を革命しよう! 革命の旗手になろう!」と言う人を見ましたか。
もしある父母がこの愛を革命して人類歴史を改造してしまうといって「私は父母は父母だけれど、子供を愛さない」と主張したとしましょう。しかしその父母は、子供のへその緒が離れる瞬間、子供を愛する心が自然に湧くことでしょう。すべての生物はものの高低を問わず自分の子供を愛さざるを得なくなっているのです。
愛するために生命を投入して、生命を踏み台にしても愛したく思う作用があるのを見る時、永遠不変という概念に近いのが父母の愛です。それは「絶対性」を求めていくにおいて「絶対」それ自体にはなれませんが、人間の前に一番近い支石にはなれます。ただ一つの土台になり得るのです。その次に、これが人間の世の中においてそれでも、歴史を見るとき永遠の土台になっているのではないかというのです。
そのような父母の愛はどこから来たのでしょうか。それはお父さんから何か勧められて習ったのでもなく、自分の相対に忠告されて習ったものでもなく、自分自身がこうだろうと思って出てきたものではありません。自然にそうなるのです。愛というものは自然にそうなるところで成立するのです。
本質的な愛を分析してみれば愛には革命がないことを知ることができます。父母が子供を愛するのは真の愛に該当します。ですから人間始祖の時から人が子供を愛した心や数千年後の後孫である私たちが子供を愛する心は同じなのです。また数千年後に私たちの後孫たちが子供を愛する心も同じことでしょう。
愛には発展もなく終わりもないのです。革命の必要のない純粋なものが真の愛です。それでは神様の愛とはどのようなものでしょうか。神様がある存在を絶対的な基準の立場に立ててその存在を認定し、彼を愛されるならばその愛は、それ以上革命に必要のない愛です。