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第8章 真なる父母の愛 : 二 子供がより素晴らしくなることを願う父母の心 : |
ここで中年以上の皆さんに「昔、若い時に自分の相対を探すのに自分よりできの悪い人を求めましたか、それとも自分より素晴らしい人を求めましたか。」と聞くならば、答えはみな同じことでしょう。できの悪い人ではなく、素晴らしい人です。東西洋の誰に聞いてもそのような結論を下すことでしょう。ましてや、愛する父母が子供に対する時は、その子供が父母である自分よりもできの悪いことを願う父母はいないのです。
ある美男・美女が結婚して初めて子供を産んだ時、その子の顔を見るとその父母の顔に比べると何でもないようなでたらめな顔でもその父母に対して、あなたの子供はあなたよりきれいだと褒めれば褒めるほど、その父母はとても気分がよくなるのです。
父母の心情について考える時、おばさんの顔がきれいだとしてもそのあばさんが抱いている赤ちゃんを見て通り過ぎるおじさんが「わ! この子はお母さんより何千万倍もかわいい」と言えば喜びます。それは、お母さんがその赤ちゃんよりも何千万倍もブスだという言葉です。
でもそんな言葉を言われて「何ですって? 私より何千万倍もかわいいって? そんな私は何千万倍もブスだってことじゃないの?」と言いながら食って掛かるお母さんはいません。ただうれしくてどうしていいか分からないのです。これが母親の心です。このような心は誰に似たのでしょうか。お母さんは結果的な存在であって、動機的な存在ではありません。
息子が父親よりもできの悪いことを願う家庭があるならばその家は滅びるのです。父親は大統領なのに息子がそれより劣るようになって、そのような形態が数代続けばその家はだんだん滅びるのです。しまいには肩身の狭い立場になるのです。息子がお父さんに「お父さん以上にやりたいのですが、いいでしょうか。」と言えば、お父さんが「やいこの野郎!」と言うでしょうか。「そうかやってみなさい」と言うでしょうか。後者を選ぶのです。
どのような父母でも家庭の責任を任せるために自分の身代わりを立てる時は、自分よりもできない者を身代わりに立てることを願いません。なぜそうなのでしょうか。子供が自分より優れてはいけないと考える父母は絶対にいないからです。また国を中心として見る時も、やはり同じです。
国の主権者は、自分以上の主権者が現れることを願う主権者にならなければなりません。家庭においても、国家においても、誰彼を問わず、自分より素晴らしく、自分よりすべてのものを備えている後継者が現れることを願わなければなりません。これは歴史の変遷を超越する、永遠に近い要求条件です。
父母の愛が永遠に持続するためにはその伝統を継承した誰かがいなければなりません。明らかに子女たちが相続者です。私たちが子女たちを、そのような伝統の相続者になるように教育しなければなりません。そしてその伝統をより高い価値に向上させることのできる方法が私たちには必要です。
各世代ごとに既存の伝統の重要さを認識しなければならないし、その伝統を継承するだけでなく未来に向かって発展させなければなりません。そのような伝統は、いつも父母が自分たちよりも子女の勝ることを熱望する、そのような真の家庭からのみ出発することができます。
このような熱い望みをもった父母たちは絶えず、子女たちに注意を傾け励ましてあげることでしょう。そのような父母は子女たちが彼らよりもっと素晴らしくなるその日を待ち望んで、子供たちにできる限り最善の条件を準備してあげようと精誠を尽くすことでしょう。このような父母は子女たちの幸福のためにすべてのことを犠牲にするでしょうし、甚だしくは子女たちを父母よりもっと素晴らしくしてあげる方向に、進んで強要したりもするでしょう。
父母が子供が自分より素晴らしいとき幸福を感じます。ですから女性として生まれて自分よりもできの悪い息子・娘を産めば、天の国に入る面目を失います。お父さんとお母さんは、自分を愛する以上に自分の息子・娘を愛することができなければなりません。また子女もそのように考えるとき自動的に愛の世界が現れて、天国が築かれることでしょう。