第7章 真なる夫婦の愛 : 八 死ぬときまで永遠に成すべき夫婦の愛 :

 夫婦が互いに愛し合うことにおいて、いつまで愛し合うのかと尋ねるとき、若いときだけ愛するというなら、気分がいいでしょうか、悪いでしょうか。いつまでも愛することを願うでしょうか。「永遠に」とも言いますが、死ぬときまで、その次に永遠に愛することを望むというのです。永遠は未来を中心として、全体をいうのです。
 死ぬときまで愛するということは、自分のすべてのものを根こそぎ与え、愛するということです。そうでしょう。「永遠に」は全体的であり、「死ぬとき」まではすべて愛するということです。そうしてこそ、相対が喜ぶのです。
 この場にいる娘たちが今からお嫁に行けば、夫に間違いなく「あなた、私を愛しますか」と聞いてみることでしょう。愛するといえば、「私をすべて愛しますか、少し愛しますか」と、このように尋ねたとき、すべてを愛すると返答してこそ、気分をよくするのです。男性もそうです。仕方がありません。神様の調和がそのようになっているのです。
 人々は結婚するとき、互いに死ぬまで愛するといいます。愛するという言葉を語るとき、ただ死ぬまで愛するという言葉と、「ずーっと」十年、百年、億万年愛するという言葉を語れば、もっと喜ぶことでしょう。これが十年、百年、このように長くなるほど、もっとよいのです。
 夫が妻と出会い、「ずーっと」その次に十年過ぎても「ずーっと」、また五十歳、年を取っても「死ぬまで愛する」と言うことができるなら、その妻は、自分の年取った旦那さんがどれほどいいか分からないのです。そういうものです。あなかが出て、うんうんとうなるとしても、喜ぶのです。

 真の妻、真の夫とはどのような人でしょうか。人はある程度成熟すれば家庭を築くようになりますが、自分の相対を永遠なる愛の相対として考え、初恋とともに日がたてばたつほど、その初恋にプラスされる愛の家庭を築かなければなりません。
 その家庭的な愛が拡大され、氏族を愛し、永遠に愛を拡大させていくことのできる、永遠なる愛の実体としてつながるようになるとき、そのような夫婦は真の夫婦であり、真の妻と真の夫となるのです。また、そのような夫婦が神様の愛に同参できるのです。

 妻の目には夫が最高であり、一番に見えなければなりません。夫の目にも妻がそのように見えなければならないのです。初恋で結ばれた縁が最高の縁です。人が何をいおうと最高です。このようなものは何億あげても買うことができないのです。
 このような世界を自分が永遠にもつことができるなら、どれほど素晴らしいことでしょうか。すべての人がその程度にはならなければならないというのです。妻は夫によく従い、よく助けなければなりません。そのようなことが、文学作品や映画の一場面にだけ現れてはいけません。
 現実に一生の間、そのように暮らさなければならないのです。最高の歴史と最高の文化が崩れたので、先生はそのような世界を立てるために、そのように暮らすために、新しい歴史を創造してきたのです。
 統一教会でいう理想的夫婦とは、どのような夫婦でしょうか。最高の芸術を実体をもって展開することのできる夫婦です。最高の文学を展開することのできる夫婦です。最高の理想と世界最高の文学世界に触れる前に、最高の愛で夫婦が授け受ける甘い愛が、世界最高の芸術作品とならなければならないのです。それ自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体とならなければならないのです。