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第7章 真なる夫婦の愛 : 四 神様も酔うことのできる真の夫婦の愛 : |
私たち個々人は心と体が相反しているので、心を中心として体を一つにし、心の中に神様が臨在できる相対的基盤を造成しなければなりません。このような男性と女性が祝福を受けて、完全な愛を授け受けながら喜びを享受するとき、神様がご覧になると、地上に咲いた花のようだというのです。
また、彼らの愛によって築かれたすべての調和的万象は、神様の香りのようなものです。このような美しい花と香りの中に神様は暮らしたくて、訪ねてこられるのです。神様の愛が訪ねてくることのできる土台が、すなわち夫婦愛の場だというのです。その場は、すべての万物と宇宙が調和する場となることでしょう。このような内容と道を教えてくれるのが統一教会であり、統一教会の原理です。
神様が最高に喜ばれるメロディーが何かといえば、男性と女性が互いに好き合って喜ぶ永遠なる夫婦の笑い声なのです。そのような夫婦が世の中を理解して抱くことができ、宇宙全体を受容できる心で生を営むとき、笑いは自然発生的となります。そのような男女の美しい姿が、神様の前に一輪の花でなくて何でしょうか。これは単純な理想でも抽象でもありません。本然の世界を語っているだけです。
夫婦同士、家の前にある山を眺めながら、あの山が生まれたのは誰のためかを尋ねてみて、全宇宙を考えながら、この宇宙が生まれたのは誰のためかを尋ねてみます。そうすれば、自分のためであると同時にあなたのために生まれたのだと考えるのです。夫婦とはまさにこのようなものです。この宇宙の存在価値を重要視することが、夫婦が一つとなる道です。夫婦は心を中心として、人格を中心として、愛を中心として話をするのです。夫婦は同じ道に行くのです。
田舎者の娘だといっても、大臣と結婚すればどうなりますか。同じ道に行くのです。その田舎者の女性が小学校も出ていないといっても、すべての人が大臣の奥様だといいながら、頭を下げなければならないのです。このように夫婦は共に行くのです。夫婦に「あなた」の愛が別にあり、「私」の愛が別にありますか。「あなた」の愛であるとともに「私」の愛なのです。「お前」の愛であるとともに「私」の愛なのです。心情と血統がすべて一つになって愛するのです。
このように愛し合うことができる人は誰ですか。夫婦です。夫婦なき世の中ならば生きる味わいがありますか。愛し合う夫婦が対話する姿を見れば世の中のどんな詩や絵よりも美しいのです。また「愛し合う者同士、私たちだけ、私たち二人で」という言葉がどれくらい美しく素晴らしい言葉ですか。
良いには良いのですが。その中で最も良いものは何でしょうか。相対者しかいません。私が「あなた」と呼べば、相対的に「お前」と答えるし、「やあ」と呼べば「うん」と答えるのです。夫が愛する妻を慕わしくやさしく「お前」と呼べば、親しくやわらかく「どうしたの」と答えます。しかし、無愛想に呼べば同じように「何だよ」と答えるのです。山びこと同じで、みな相対的だというのです。
愛に酔った人々の笑いを見れば、それも相対的です。男性は笑うとき目を一層大きく開くのに、女性は笑うときそっと目を閉じます。夫の目が大きくなり、妻の目がだんだん小さくなれば、彼ら夫婦は愛に酔った幸福な夫婦だということができるでしょう。