第6章 思春期の変化と真なる結婚 : 七 結婚の適齢期−愛はいつから連結されるのか :

 全知全能の神様は、人間において華やかに花開くことのできる時を造られました。その時期が青春時代だといえます。神様は愛の青春時代を中心として、自ら幸福を培っていくように造られたのです。それゆえ、神様が存在する同一の理想的な人間世界にあって、男女が華やかな青春の時期に幸福になることができる関門として、結婚という祝福をしました。この世に存在するすべてのものは、相対的理想を経なければ存在価値がなくなるのです。ですから人間が成長したのちに祝福を受けて結婚をするのは至極自然の摂理なのです。

 愛はいつから連結されるのでしょうか。愛の力はいつから押し出してくれるのでしょうか。男女も思春期を迎え、すべての器官が100%完成圏に到達するようになるとき、停止状態へ入っていくのです。すべてのものが飽和状態になります。運動というのは必ず飽和線を経ます。それで、いったん停止して、また回るようになります。そのような飽和状態に入っていって停止します。そのような飽和状態に入っていく前段階が何かといえば、思春期です。思春期というのは「私」の肉体の発育において、すべての器官が完成した時期をいいます。気球でいえば空気がなくてぺちゃんこの状態から、空気を入れてぱんぱんになり、破裂する直前になったということです。もう少し入れれば破裂します。
 その破裂するとはどういうことでしょうか。それが愛が完成して破裂するのならどれほどいいことでしょうか。同じく人間も十八歳ぐらいになれば、ゴム風船のように張り詰めてきます。そして破裂直前の立場まで行き、そこから見事に永遠に転がっていくことができます。
 霊肉が完全に一体となるときは、本然の愛が私たちの中に訪れてくるときです。堕落した世界の人間たちの場合も、思春期とは、霊と肉体の細胞が和合する平行線上に立つことのできる時期であるというのです。思春期の霊と肉体の細胞は、すべての門を開き喜んで迎えるのです。神様を中心とした思春期時代に人間世界を眺めるとき、喜びと幸福のみが満ちるようになるのです。
 愛するようになれば幸せになり、愛に酔って感じる感情は、実に、のぞき眼鏡のようだといって、早く経験してみようと飛びつけば、それは大変なことだと言わざるを得ません。愛の門は時になれば開くのであり、門が開く時を待って入らなければなりません。自分が愛の主体になったと思った時、堂々と開かなければならないのです。
 結婚適齢期はいつごろだと思いますか。心と体が最も完成した力をもつときが結婚することのできる最適齢期であるといえます。青年期を越えればだんだんと気力が衰えていくために、いくら純情を保ったといっても相対者を求めるのが難しくなるのです。

 それでは完成した人、すなわち完成した男性と女性が住むようになる場とはどのような場でしょうか。天の公的なみ旨を中心として神様の愛を受けることができ、心と体が完全に一つになり、神様を主体として侍ることのできる場です。このような場に住むようになるとき、完成したアダムとエバの立場に立つようになります。このような人々が家庭を築いて出発するのが歴史的な出発なのです。これが歴史的な人生行路の第一歩です。