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第6章 思春期の変化と真なる結婚 : 一 結婚の意義 : |
結婚とは幸福な宮殿の門を開けて入っていく儀式であるといえます。それゆえ、結婚は人生における重大事となるのです。愛は時空を超越し、人間にとって最も偉大なものであり、結婚はそのような愛を現して確認する儀式なのです。
なぜ結婚式を「祝福を受ける」と言うのでしょうか。私たちの原理から見るとき、アダムとエバが堕落せずに完成していたなら、祝福の席に参加していたはずです。言い換えれば、アダムとエバは神様の実体対象として、神様が主体であれば彼らは対象になるのです。そして、愛の主体となられる神様から対象的な立場の愛を連結させることのできるその祝福の基台は、アダムとエバが個性を完成し、結婚することによって成されるのです。
完成とは結局、結婚のことをいうのであり、結婚とは神様の愛の顕現のことをいうのです。言うならば、結婚がなければ、今日、人類世界における愛というものが始まらなかったというのです。その愛の主人は誰でしょうか。人間ではなく神様であられることを私たちは知らなければなりません。その神様の愛が人間の中に現れるようになるとき、神様の喜び、誇りとなり、神様の愛としてこれを感じることができるのです。
愛というものは一人で成り立つものではなく、相対関係において成り立つものなので、男性が愛を成就しようとすれば男性自体だけではだめなのです。女性も同じです。このようにアダムとエバが愛で一つになることによって初めて、神様の愛を受けることができるのです。このような観点から見るとき、私たち人間は神様から生まれたものであることが分かるのです。
天地間のすべての道理が主体と対象から成っているように、男女が結婚するのも天地間の道理なのです。男性が右側なら女性が左側になるのは宇宙間の横的な関係を築くためであり、男性が主体なら女性がその対象となるのは、神様との縦的な上下関係を築くためでもあります。ですから結婚するのは、男性だけのためでもなく、また女性だけのためでもなく、天理の法度を合わせるためにするのです。それゆえ、男性と女性は互いに違う形を備えています。天理の法度を一致させることができるように生まれたのです。
結婚というのは、愛する二人が寂しいときは慰め合い、うれしいときは共に喜び、困難なときは助け合うことのできる相対的な位置で授け受けしながら、神様の前へ出ていく場合において、神様の愛を土台として生活するために結ばれることなのです。これがすなわち結婚生活です。
神様が男性と女性を天に造らず、地に造られたのは、平面的基準で神様の愛を横的に成すためです。すなわち、主体と対象の関係を造成し横的に一つになるとき、主体であられる神様と、二人で一つになった愛が、縦的な愛の因縁を結び得るというのです。この事実は極めて重要です。