第5章 創造本然の男女の愛 : 一 創造本然の男女の愛 :

 神様の最高の傑作品として造られた美しい男性と女性が、神様を中心として愛し合うことができるならば、それは最高の愛であり、超越的な愛であって、世俗的な愛ではありません。その愛は最高に美しい愛であり、愛の中でも代表的な愛であり、永遠に輝くことのできる愛です。
 男性と女性が愛し合っても、それが神様が立てようとされたみ旨と一致するか、また神様が人間に願われたその基準と一致するかが問題となります。男性と女性が愛し合うとき、神様が考えられるモデル的な愛と一致するかということです。
 神様を中心として最初の男性と女性が愛で一つになったならば、それは、愛を中心にした宇宙のモデルになったという結論が出るのです。神様も人間の前にそのような愛を願われたのです。男性と女性も互いに相手に対し、そのような愛を願ったのです。そのような真の愛は、宇宙の核であらざるを得ません。メートル法と同じ一つの標準型になるのです。

 神様の愛と人間の愛は本質的に同じです。愛は一つになろうとします。男女が互いに恋しがる理由は何でしょうか。男性は女性、女性は男性を通してのみ神様を所有することができるからです。男女が愛で一つになる所に必ず、神様が臨在されるのです。

 二性性相の母体が神様であることを考えるとき、男性と女性の尊厳なる価値をほめたたえると同時に、神様の尊い価値を一層ほめたたえることができる人にならなければなりません。
 男性の心の中には神様が愛しておられる女性がおり、彼の相対である女性の心の中にも神様が愛しておられる男性がいて、共にたたえるようになる場合には、神様もそれを見て喜ばれるのであり、すべての万物も互いに喜ぶようになるのです。彼らが互いに抱擁する喜びの内容が、天と地が共に喜ぶ価値ある内容になります。男性と女性が互いに愛し合い抱擁するそのこと自体が、宇宙が一体となる場となるのです。神様の理想の中で成される創造本然の姿はそういうものなのです。
 元来男性は自分が喜ぶことのできる女性を迎えなければならず、女性もやはり自分が喜ぶことのできる男性を迎えなければなりません。そればかりか、人間の喜びというその限界を越えて、神様も喜び、すべての万物が喜ぶ出会いでなければなりません。この世のすべての存在物がその夫婦のために動員され、彼らに主管を受けることを願うようになります。
 鳥たちは彼らのために歌を歌い、蝶は喜びひらひら舞うようになるのです。神様も喜ばれ、人間も喜び、すべての万物も喜ぶようになるのです。このような立場で人間始祖が歴史を出発させていたならば、それこそ創造本然の理想世界になっていたのです。