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第四章 真のお父様の見た神様 : 五 神様を解放してさしあげよう : 2.神様の解放は人間がしなければならない |
世界を解放するには、まず神様を解放しなければなりません。神様が解放されてこそ世界を解放できるのではないでしょうか。神様を解放してから世界を解放しようというのです。ですから統一教会を地の果てまで伝播して心情的絆を結んでくいを打ち、世の中のすべてを愛でもって溶かそうというのです。その闘いをするのです。分かりましたか。
神様を解放することのできるその位置まで行くべきことを知り、父母様の行く最後の終着点を目指して同調する群れが集結するようにしなければなりません。そうすることによって個人から家庭がつながり、家庭から氏族がつながっていくことでしょう。氏族と民族、国家が犠牲となった祭物的価値を相対的世界、第二次の父母様を迎えた世界に再現させることによって、歴史的に犠牲となったすべての聖人たちを、復活圏の実体として代わりに蕩減復帰しなければなりません。そうせずしてはこの地を離れることができないのが人間の運命であるがゆえに、死んでもこれをなさなければならず、この溝を埋めなければならないのです。これは宿命なので誰もが行かざるを得ません。早くから行かなければならないのです。
神様を解放しなければなりません。この地の隅々まで神様が訪ねてこられて「私の創造理想が夜も昼も、歴史を通して成し遂げられたのだ。感謝であり、驚くべきことだ」とたたえることができると同時に、どこへ行っても神様が愛さざるを得ないこの世界の舞台となり、宇宙となり、霊界や肉界も同じようにならなければならないのに、そのようにはなっていないのです。いまだに天のみ座の下までサタンの闇の権勢が占領しているのです。ですから神様を解放するためには霊界を解放しなければなりません。闇の世界から。
「私」という人は解放というのを本当に好む人です。また、統一ということを好みます。どれほど好きでしょうか。生きられないほど、死ぬほどに好きです。統一の門、解放の門はこの文という人にあるのではありません。よく知ってみると、万有の大主宰であられる神様にあるということが分かりました。ですから「神様が好まれるものと言ってもたくさんあるでしょうが、最も好まれるものは何でしょうか」と言うと、「私が一番好きなのは解放である」と言うのです。答えは簡単です。「私が一番好きなのは解放だ」と言うのです。それで「では、なぜ解放ができないのですか」と言ったところ、「一人ではできない」と言うのです。それが病気なのです。神様一人ではできないというのです。
国を愛しましたか。息子、娘を愛しましたか。息子、娘の道を開いてから民族を愛しましたか。世界が行く道を開いておいて、世界を愛しましたか。天に行くことのできる道を開いておいて……。そのようにできるところだけ完全な夜明けが訪れるのです。夜が明けるとき、その陽光は谷間までさし込み、死の中に閉ざされ拘束されていたすべての人間を完全に解放するのです。平和を謳歌し、解放とともに統一の世界が私たちの前に来たと言い、千年の歴史をすべて無視して解放の王子となり、統一の旗手となり、神様の前に褒められるのみならず、神様の愛の懐に抱かれて、永遠無窮の幸福を享受すべし、ということになるのです。そのようにする自信がありますか。
人類の解放も必要ですが、人類の解放よりも先に、神様を解放しなければなりません。そうしてこそ人類の解放につながるという事実を考えている人はいません。既成教会の牧師も、神様は栄光の中にいる審判の神様だと考えているのです。誤った考えをもっているのです。私の知っている神様はそうではありません。神様を死亡圏から解放しなければなりません。
旧約時代、新約時代、成約時代、その次は完成時代です。完成というのは愛を中心とした完成です。完成は父母の解放、子女の解放、万物の解放、神様の解放です。それが一度になされなければなりません。堕落した父母によって一遍に地獄に行ったものが、天と地をかけて一度に成し遂げられるのです。
民族的背景と民族を代表した人、または団体が現れるとするならば、それはどんな人であり、どんな団体でしょうか。民族の歴史的伝統をもち、時代相を代表して世界へと進んでいくことのできる時代的な使命を、未来的な使命につなげることのできる、そのような団体と個人でなければなりません。それがレバレンド・ムーンと統一教会だということを皆さんは知らなければなりません。それゆえ統一教会の真理には侵略性がないのです。反対に救ってあげようというのです。解放しなければならないのです。万民をすべて解放しなければなりません。解放をもって進むのです。霊界と肉界が合わさって神様を解放しようというのです。
私が称賛され歓迎されるということは夢にも思っていません。祈祷してみてください。統一教会の思想は、統一教会を犠牲にして人類を救い、世界の人類を救って天と地を解放し、その次には神様を解放するのです。神様は御自身が回収したものすべてを再び投入して、完全に堕落のない次元の高い別の世界、天国大移動の局面を願われることでしょう。そのようなことをしているということを知ってほしいと思います。
先生は何でもありません。人類歴史は150万年だと言われていますが、永い歴史過程において自分の威信と権威とすべてを忘れて、失った子を探し求めて身もだえするかわいそうな父母の身の上を誰に訴えるのでしょうが、子が現れてそれを解いてさしあげるまでは、その胸の内にしこりとなった恨を解くこともできないし、打ち込まれた釘を取り除くこともできません。釘を取り除いて愛の涙で、血肉で、それが肉となるように解いてさしあげなければならない神様の怨恨の心情を、誰が解放してさしあげるのでしょうか。私の解放よりも先に、神様が解放されるべきであるということを知らなければなりません。これが宗教人の追求する究極的な解放の道だということを知らなければなりません。
幸福の種がどこにあるのか知らなければなりません。堕落して失ったのでそれを取り戻さなければなりません。ですから統一教会を中心として真の神様を求めていこうというのです。今までの神様は復帰の神様です。本来の神様ではありません。怨恨の神様、かわいそうな神様です。喜びの神様ではありません。落胆の神様です。それゆえ元どおりにするためには、復帰の神様を解放してあげなければなりません。お金でするのではありません。権力でするのでもありません。ある人によってするのでもありません。真の愛でしなければなりません。
苦労によって出発したので、苦労によって終着点を目指していこうと思います。「レバレンド・ムーンの名は悲惨であった」という結論を出そうと決心した人物です。私にはお金が必要ありません。名誉も必要ありません。唯一神様を解放し、人類を解放し、サタンまでも解放して永遠なる愛の基地をつくるのが、新しい祖国を訪ねていく喜望峰なのです。皆さんはそれを知って、行く手を険しい山々がはばんでも、朝食を忘れ、昼食を忘れ、夕食を忘れ、昼と夜を忘れながらもその道を行こうと身もだえしなければなりません。そのような生涯が長ければ長いほど天の怨恨を越えた神様の理想的愛が、皆さんと共に、皆さんの家庭と共に、皆さんの一族と共に、皆さんの国と共にあるというのが天理の原則であるということを知って、そのように生きてくれることを願うのです。
偉大だというのは顔が偉大なのではなく、体が偉大なのではなく、思想が偉大なのです。神様までも動かざるを得ず、神様までも私についてこざるを得ないという精神、それが偉大なのです。愛の目的を達成できていない神様を、私が愛をもって解放することを主張するのです。愛の目的を成就できなかったという恨をもっている神様が、今日レバレンド・ムーンに出会って解放されたというのは理論によるものです。妄想ではありません。体系的な理論、科学的なデータによる実証的結果によってこれを主張するのです。
神様を解放するのです。そうすれば終わりです。神様が思いどおりにすることができるのですから全知全能の神様の全権全能を行使する時代が来るので、そこは太平天国とならざるを得ないということを知らなければなりません。そうしてこそ「アーメン」です。言ってみてください。「アーメン」