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第四章 真のお父様の見た神様 : 五 神様を解放してさしあげよう : 1.神様は囹圄の立場 |
誰が悪霊と善霊の闘いを終わらせることができるのでしょうか。それは神様でもなく、サタンでもありません。それでは誰でしょうか。真の愛から出発して真の愛をもっていく、世界万民がついていくことのできる愛の主人公が現れなければ、神様の闘いとサタンの闘いを終わらせることはできないのです。この闘いから解放されない限り、人類歴史世界において平和という言葉は妄想的なものです。理想という言葉は抽象的で感傷的な言葉にすぎません。それでは神様はこの代表者を遣わすのですが、その主流思想をメシヤ思想というのです。救世主思想、救世主は人間だけではなく、神様までも解放する人のことを言います。悪を処断することを意味します。神様解放と悪を決算するための総責任者が救世主です。
救世主の使命は神様を解放することであり、サタンを処断することです。あれほど人間に食いついては讒訴した怨恨のこの元凶を誰が清算するのでしょうか。神様にはできません。唯一メシヤが、救世主だけができるのです。
私たちの願う統一教会とは何でしょうか。父母の宗教を求めていこうということです。甘い生活を求めるのではありません。道義的な関係ではありません。真の父母を中心として真の愛の道理の道を求めていこうというのです。そうして神様を解放しようというのです。真の愛の原則条件が結びついていなければ解放されないのです。
お父様が愛され、そのお父様が求めようとされる国を考えてみたことがありますか。監獄の道をいとわず行けば何らかの道があります。その生死の岐路を開拓してきたのが、民族が進むことのできる道であり、暗黒の淵を越えて希望ある道であるということを知る人はいません。世界万民を解放するためのトンネルを貫通するために、そのような事情を抱いて苦労したということを知る人はいないのです。神様に忠誠を尽くし私がこの道を行くということは、中心をお迎えした中で細心の注意を払って暮らしながら、愛を貫く抱いて侍るべきお方だということをわきまえていくということです。この道は時が移り、歳月が変わっても万世に変わることのない、たった一つの道であると考えて生きていくことです。
神様を解放しなければなりません。私が神様を救わなければならないのです。私が救われようとするのではなく、神様を解放しなければなりません。これが救いの摂理の総決算です。
統一教会は神様解放のための解放軍です。世界解放ではありません。世界解放は容易です。人間が団結すれば世界解放はできますが、神様の解放は心情圏を団結させなければなりません。愛の圏を団結させることのできる原理と思想体系を備えなければなりません。そうして霊界を解放し、地上に心情圏の橋を架けなければなりません。どんな革命よりも恐ろしい革命です。困難な革命です。ですから人類の解放は容易でも、神様の解放は困難なのです。世界にまたとない困難なその仕事をレバレンド・ムーンが旗手となり、今日摂理史の総決算という表題を掲げて進み出たということは驚くべき事実です。
今日の宗教指導者はひれ伏して祈祷をして恵みを受けようとしますが、私は恵みを与えてくださいと祈祷したことはありません。「私一人が祭物となって神様を解放しよう」と祈祷したのです。旧約時代は万物を立てて神様の人を探し求めるための時代であり、新約時代は息子、娘を犠牲にして父母を探し求めるための時代であり、成約時代は今まで父母様の家庭を犠牲にして神様を解放するための時代です。本然の父母をこの地上にお迎えし、共に千年万年暮らし……。韓国の童謡の中に「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んでいた月よ……」というのがあります。月桂の木が植えられているのでどうこう、両親をお迎えして千年万年生きたいものだと、これはみな韓民族の啓示的なものです。天の父母をお迎えして千年万年生きたいものだ、私はこの歌を思うたびに胸に熱く込み上げるものがあります。
神様がアメリカに二百年間世界的な祝福をすべて与えたのですが、これをすべて自分たちのための福だと思い、自分たちキリスト教の福だと思い、アメリカだけの祝福だと思っているのです。アメリカとキリスト教を犠牲にして、世界万民を解放し、万民の福祉を建設すべき責任を忘れて、アメリカ第一主義、アメリカ単一主義、個国主義に陥ってしまったのです。世界主義的アメリカのために、自分の一国を犠牲にし、一キリスト教を犠牲にしてでも世界的基盤版図を築くのが神様のみ旨であるにもかかわらず、それに背き反対の立場に立ったのでアメリカ自体もまっさかさまに落ちるのです。家庭が崩れ、教会が崩れ、国が崩れ、すべてがめちゃめちゃです。すべてが病んでいます。
神様と真の父母を解放し、世界を救うために進み、地獄を貫かなければなりません。地獄の底を貫いていけば天国です。これを知らなければなりません。それが近いのです。地獄の底を貫くのです。ですから犠牲になり、奉仕せよというのです。「私が救われるために統一教会を信じる。この道をを行く」というのは零点です。それでは絶対に世界舞台には立てません。「神様を解放し、真の父母を解放し、世界を救うために私はこの道を行く」と言わなければなりません。分かりましたか。内容が違うのです。
死んでも生きてもこの道を正さずしては行けません。これを知っているがゆえに先生は、一生の間このようなことをするのです。はっきりと知らなければなりません。迫害を受け、あちこちの監獄に入りながらもこの荷を背負っていくのです。監獄に入るのが良くて入るのでしょうか。神様のため、神様の解放のために行くのです。人類の解放のため、サタン世界を解放するために行くのです。蕩減復帰の道を行かずしては解放圏ができないのです。安逸な中ではサタンを分立することができないので蕩減復帰の道を行くのです。
責任分担解放圏というのは心情の解放圏のことを意味します。神様が解放されなければならず、父母様が解放されなければなりません。悪なる父母が現れたので、それに対さざるを得ない立場に立った神様はどれほど苦痛なことでしょうか。ですから父母様の解放、神様の解放をしなければなりません。そのような孝子とならなければならないのです。父母様がいまだに苦労しており……。天の父母に苦痛を受けさせておいて、自分は楽に暮らそうというのですか。自分の息子、娘には良いものを食べさせ楽に暮らそうというのですか。そのようにしたり、そのように考えることができるのでしょうか。
神様を解放してさしあげるべき私たちの生活路程において、摂理のみ旨に対する神様を呼ぶときには、胸がしめつけられ痛哭する心情をもたずしては呼ぶことのできない神様であることを知らなければなりません。ですから洗礼ヨハネも荒野で「悔い改めよ、天国は近づいた」と叫んだのです。イエス様も「悔い改めなさい。天国が近くなるまで来ている」と言ったのです。悔い改めなければならないのです。皆様が摂理のみ旨に向かう立場でどれほど無礼であり、どれほど厚かましかったというのです。世界において解放できなかったとしても、自分だけでも神様を苦痛から解放してあげなければならないのです。
世界を統一するにはどうすべきであり、解放はどのようにするのでしょうか。サタン圏を統一することのできる神様のような能力をもった人が現れれば、霊界と肉界に分かれたものが一つになるのです。解放されるのです。サタンを主管することのできる人さえいれば、霊界も解放され、肉界も解放されます。神様に解放が必要でしょうか。神様は既に解放されています。神様に解放が必要だというのは、人間を解放するために必要だということです。神様御自身は解放されているのです。人間が解放されていないので、人間を解放するにあたって神様が解放条件に引っ掛かっているだけであって、神様御自身は解放されないお方ではないのです。人間にかかっているのです。
キリスト教思想は再臨思想です。イエス様が再臨して何をなさるのでしょうか。今日のキリスト教信者の中にはとんでもないことを言う人が多くいます。雲に乗って空中に上って千年の祝宴をするのですか。よく知ってみると、それは全く根拠のないことを信じているのです。イエス様が来て何をするのでしょうか。イエス様が来て誇れることは何でしょうか。神様の前に不義を立ててくれと抗拒するサタン、そのサタンを切ってしまわなければ神様はその永遠な抗拒を避けられないのです。 この地に再臨主が来てすることは何でしょうか。キリスト教信者、その数億人にすぎない人々に良い暮らしをさせるための再臨主ではありません。神様を解放しなければなりません。公義の道理の前に立って神様を解放するという責任を果たす主役として来られる方が、再臨主でなければならないのです。