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第四章 真のお父様の見た神様 : 一 歴史的な恨、苦痛の神様 : 1.人間の堕落により父母の立場を失う |
私たちの本当の父親は神様なのですが、サタンが父親に成り済ましています。それでヨハネによる福音書第18章44節でイエス様は「その父の欲望どおりを行おうとしている」ととがめられたのです。サタンの血を受けたという悔しい事実を知ったならば、憤りの思いがほとばしり、自分の体を刃物で刺し、汚れた偽りの血を出してしまいたいという義侠心が生じるべきです。そのように感じたことがありますか。「この肉の塊め」と体を打ちながら憤りを覚える人は天の忠臣です。
最後の心情の世界を連結させることのできる宗教があるとすれば、それは神様が最もかわいそうだということを詳しく教えてくれる宗教であると言うことができます。神様は善くて、素晴らしいというだけではありません。悔しい神様、憤りと恨に満ちた神様です。これを詳しく教えてくれる宗教が現れなければなりません。そうしてこそ孝子となることができるのです。
神様がどれほど悔しいかというと、王の座を怨讐に奪われたのです。神様が極光の神様となることができず、悲しみの歴史をもっていらっしゃるという事実を知らなければなりません。御自身の国の王として、宇宙の王としていらっしゃるにもかかわらず、王が生きているのに王は死んだとさげすまれているのです。御自身の理想を奪い取られ、御自身の愛する息子、娘を奪われ、完全に怨讐の籠絡の場としての地球となってしまいました。
今まで神様の主管することのできる統一された民族や主権国家がなかったがゆえに、全知全能の神様はその威信ゆえに来られなかったのです。その神様の怨恨を解いてさしあげるのが統一家の息子、娘の道理であり、統一家の孝子の道理であり、統一家の忠臣の道理であり、烈女の道理であることをはっきりと知らなければなりません。真理を知っているので、真理があなた方を自由にしてくれるでしょう。知る人は解放されるのです。これをはっきりと教えてあげるのです。
皆さんは神様のためにどれほど涙を流したでしょうか。神様の御苦労の前に、神様に代わって苦労するために、四肢が裂けるような道でも行こうともがいたことがあるでしょうか。ないのです。皆さんが「子女」というその立場を追求するためには、公的な涙を流さなければなりません。そうして父なる神様にまみえ、「父よ、あなたの息子である私を、そして私たちの先祖を失ったとき、あなたの心はどれほど悲しみに痛んだことでしょうか。その子孫を通じて今まで歴史過程において受けた屈辱と苦痛と苦難が、どれほど大きかったことでしょうか」と慰労してさしあげながら、限りなく涙を流すことができなければなりません。 全知全能の権限で全世界とサタンまでも審判してしまうことのできる神様でありながら、能力をもっていながらも、今までひどく苦労する立場に立ち、手をつけようにもつけられず、神様御自身がもつべき環境をもてないまま孤独単身でサタンの前に讒訴され、サタン世界で足場をすべて奪われて呻吟する神様の立場を考えると、言葉も出ません。このような神様の立場に同情しながらどれだけ涙を流したでしょうか。問題はここに帰結するのです。
この世の親も自分の息子、娘が罪を犯して絞首刑に処されることになったとき、その子が死ぬことを願う親はいません。自分の思いどおりに子を助けることができるとすれば、百回でも千回でも助けてやりたいのが父母の心です。母親の気持ちはなおさらのことでしょう。堕落した世界の女性の心もそうであるのに、全知全能なる神様がいったい何ゆえに終わりの日になって審判をしなければならないのでしょうか。どうして神様が許してくださることができないのでしょうか。これです。神様はどれほど愛しておられるでしょうか。イエス様が70回ずつ7回許すとすれば、神様は70回ずつ7千回以上許すはずです。神様の心はそうなのです。
神様の救いの摂理は復帰摂理ですが、復帰摂理の出発はアダムとエバからでした。アダムとエバは堕落したのです。先生が現れるまでアダム復帰はできないのです。これを復帰するために、全知全能であられ、この宇宙を創造された神様が、一人の男性を探すために数千万年間、今まで被造世界に顔を現すことができなかった神様の事情と恨を皆さんは知らなければなりません。
神様のみ旨が何かというと、創造理想の完成なのですが、創造理想とは人間世界に三対象圏理想を実現することです。その愛を中心として理想が実現するとき、神様は「ああ幸せだ」とおっしゃることでしょう。神様が何をもって幸せだと言えるでしょうか。今日のキリスト教信徒はみ座にいらっしゃる万軍の主は全知全能であれるので、「おい」と言えば「ははあっ」と万事が通じると考えていますが、いつも惨めで一人の神様はどれほど悲惨でしょうか。
愛する息子をそのように死なせるしかなかった神様の痛ましい事情を誰が知るでしょうか。それは聖書にありませんが、息子を死なせるほどの事情があったのではないでしょうか。キリスト教のイエス様を信じると言ってあのように集まるのも悲惨だし、すべて選民の味方になるべき神様なのにこれを知っているのか知らないのか……。行く所々で血を流し、首が落ち、煮えたぎる油に入れられて死に……。 このような運命にぶつかるのを見て、「神様がこれを防ぐことができるのではないか」と言うかもしれませんが、全知全能であられながらその忍び難きを忍ばねばならない神様は、どれほど恨がしこりとなっていることでしょうか。そのように考えたことがありますか。それなのにどうして神様が最も高いところにいらっしゃることができるでしょうか。いつかきれいに清算できたらいいと思います。
自分の愛する人は命を投入してでも保護したいものです。本来創造理想がそうなっています。神様御自身も、息子、娘を愛するがゆえに、自分の命までも投入しなければならない悲しみの神様となったのです。
堕落しなかったならば、神様は創造主として永遠な主人になるはずであったのに、堕落することによってサタンが主人になりました。そうなるしかありませんでした。いくら官吏の屋敷の中の箱入り娘だとしても、その町のやくざ者に強姦され愛の関係を結んだとすれば、その娘は誰のものになるでしょうか。やくざ者のものとなります。全く同じ道理です。天国の王となることのできるアダムであり、天国の王妃となることのできるエバでした。 これを復帰するには、創造の原理原則を中心としてなさなければなりません。本来アダムとエバを中心として永遠な愛の法度を立てたので、その法度に従わなければならないのです。その法度を否定するならば、天理を破壊することになるのです。それゆえ人間はもちろん、神様自体まで否定される立場になるので、仕方なく再創造過程を通して収拾してきたのです。そのように恨多き歴史路程を誰が知るでしょうか。
今日、既成教会では「神様が栄光の中にある審判主として、地獄へ送り、天国に送る」と言います。この世で最もかわいそうなお方が神様です。最も悲痛で身もだえしながら光明の天地が暗黒の地獄へと落ちるかもしれないのを克服して、そこで身を持ち直し、目を開けて意識を確かにもって、死にはしたが、この子らを生き返らせようという心をもった方が神様です。創造主の能力、絶対者の力があったのでそれが可能だと考えるのであり、そうでなければおしまいなのです。
それでは神様はどのようなお方なのでしょうか。神様は本然的真の父母の立場にあるお方です。ところが真の父母となるべき神様が父母の立場を奪われてしまったので、創造理想の本然的基準にはなかったことが生じたのです。この創造的世界にはあり得ないことが生じたのに対し、創造主であられる神様は干渉することもできず、それに責任を負って消化することのできる立場にも立てないのです。