第三章 復帰摂理歴史と神観の変化 : 三 イエス様が「父子関係の神観」明かす : 2.養子は父と呼ぶことができる

 旧約時代を経て新約の新しい朝を迎え、イエス様は神様を父であると宣言し、堕落人間を養子の位置に上げ、神様と父子の関係をつくってくださいました。養子は血筋が違います。しかし来られたイエス様に接ぎ木されることによって、息子の名分をもって神様を父と呼ぶことができるのです。神様との父子関係の成立は、イエス様以外には誰にもできない天の秘密だということを知らなければなりません。

 イエス様が神様を父と呼ぶとき、当時、旧約の観念に浸っていた祭司長やパリサイ人は、神様を冒涜するけしからぬ言葉として聞いたのです。それほどイエス様の父としての神観は革命的な神観だったということを知らなければなりません。

 イエス様は一段高めて神様の愛を紹介しました。旧約時代には、モーセが愛の神様を紹介できず、権能の神様、能力の神様、審判の神様だけを紹介しました。しかしイエス様は、愛を紹介しました。愛の神様を紹介し、愛のイエス様であることを紹介したのですが、当時の人間は受け入れませんでした。

 旧約時代は僕の時代だったので、神様の正しい姿を現すことができない時代です。神様は父であり、愛の存在です。神様は愛そのものなので、すべての罪悪を許される愛の父です。目には目で、歯には歯で復讐した旧約時代の律法は消え去り、イエス様によって怨讐を愛し、兄弟の過ちを7回ではなく、70回まででも許される愛の真の姿を現すのです。父がどうして子の過ちを許さないことがあるでしょうか。

 神様は目に見える存在ではありません。その見えない神様が、目に見える神様として現れた存在がイエス様です。ですからイエス様はヨハネによる福音書で「わたしが父におり、父がわたしにおられる。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしに父を示してほしい、と言うのか」と、神様との一体を主張しました。

 ですからパウロも「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力のあるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたち主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」(ローマ8・38、39)と言いました。イエス様も神様の愛のために来られたのです。

 イエス様がヨルダン川で洗礼を受けて天が開けた時から昇天するまで、三年という短い歳月だったことを知らなければなりません。イエス様が父子の関係の神観を明らかにしながら、具体的な内容をすべて語れず逝かれたという事実を知らなければなりません。

 ユダヤ教のメシヤとして来て、世界的メシヤ路程を開拓しようとしている途中で死んだというのです。そうするとユダヤ教はどうなるのでしょうか。ユダヤ教だけのためだけの神様として仕える、そのような神様であってはなりません。イエス様がこの地上に来て教えるべきことは何でしょうか。旧約聖書で教えてくれた神様をそのまま教えてはなりません。新約時代の神様として教えてあげなければなりません。「国家的次元の時代を越えて、今は世界的次元の時代に入っていくので、世界を吸収するためには世界のために精魂を込める基台を築かなければならない」。このように教えるべきなのがイスラエルの国歌的メシヤとして来たイエス様の使命だったのです。そうして生涯を捧げて世界的メシヤとして来たイエス様の使命だったのです。そうして生涯を捧げて世界的メシヤの権威を取り戻すことができるようにすることが、イエス様の生涯になすべきことでした。