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第三章 復帰摂理歴史と神観の変化 : 一 旧約時代、神様は天使であった : 2.旧約時代は天使が神様に代わって役事した |
神様は汚れた地を再び回復しようと、天使たちを通じて人間と関係を結ぶ救いの摂理をしてこられました。堕落によって神様に背いた立場にいる人間、万物とも比べられないほどに落ちに落ちた人間に、神様が再び対するために救いの摂理をしてこられたのです。サタンが支配し、サタンが讒訴する人間を神様が主管するために、橋を架けて役事してこられたのが、旧約時代を経て新約時代を経て今まできています。
旧約時代には本来、神様が直々に役事しなければならず、神様の栄光で人間に対すべき時代でした。ところが堕落によって摂理が完成しなかったので、悲しみを抱いて、第二次として天使を通じて人間に対する道を開拓してきたのが旧約時代なのです。天は天使に役事させる基準を立てられました。天使も神的な存在なので、イエス様が来るまでの方便として人間に神様のように現れて、仲保の使命をなしたのです。
旧約時代を見ると、天使たちをみ使いとして立てて、神様の自由の園、解放の天国を建設してきました。僕の立場から神様の息子へと解放される恩賜圏に入るには、命を失っても喜ぶことができなければなりません。そのような自由な心情をもった人だけが、僕の位置を越えて息子の位置を取り戻して入っていくことができたということを、皆さんは知らなければなりません。
皆さん、聖書を見てください。神様は今まで霊界にいる天使長に、息子に、聖霊に役事させてきました。神様が直接心情を接続させる役事ではありませんでした。旧約時代は天使に役事させ、新約時代は息子に役事させました。旧約時代は天的に見ると、民を収拾するための時代であり、新約時代は子女を収拾するための時代でした。
皆さん、見てください。イスラエル民族を立てるために、天上世界の天使たちが来て働きました。僕が来て働きました。次に息子が来て働きました。今は父が来ます。皆さん、来るべき主は父としてこられます。真の父母として来られ、真の子女を率いて愛するのですが、その時にはどうなることでしょうか。皆さんは一人を前にしても夜を明かすことでしょう。神様はアブラハム一人を全人類以上に愛し、イエス様一人を全人類以上に愛されました。それゆえ皆さんは神様の愛する息子、娘の一人がどれほど貴いかを知らなければなりません。
アブラハムに現れた主なる神も天使の姿で現れました。本来、神様は無形の神様であり、目に見えない神様なのですが、創世記では三人が神様として現れ、二人はソドム、ゴモラの審判をするために行き、残る一人は神様となってアブラハムと対話する場面が出てきます(創世記18/1〜18)。しかし、彼らも神様の遣わした天使であり、天使を立てて方便として神様のように摂理されたのです。それを知らなかったのです。
ヤコブが21年間修道して、一日の願いを成し遂げるためにセイルの地、兄のいる故郷の山河を訪ねていくのですが、21年間、その一日を待ちわびていたのですから、神様は喜んで「行きなさい、行きなさい」と言うべきなのに、天使を遣わしてヤボク川で「おい、息子!」と闘いをさせたのです。ここで天使に負けようものなら、21年間の苦労が水の泡になるのです。それでヤコブが天使にしがみついて、勝つまで離さないと言ったのです。腕が折れても離せないと言ったのです。どんなに執念深いでしょうか。
イサクの手を通じて祝福してくださった神様、すべてを捨てて故郷に帰るように命じた神様が、ヤコブの行く道を案内し、平坦にしてやることができず、さらには、ヤボク川で夜を徹して切ない思いで天に訴えるヤコブに勧告のみ言をくださるどころか、むしろ天使を遣わしてヤコブを打たせるという、こんな非情な環境を準備されたのです。
旧約時代に生まれて死んでいった私たちの信仰の先祖たちは、どのような人々だったのでしょうか。神様は無形な神なので現れても分からないので、神様の形状として、神様に代わって、その時代時代に合うように、その歴史の因縁を再現して因縁を結ぶために送られた人々でした。それゆえ私たちが神様の養子の位置にまで上がるためには、多くの人の歴史的因縁を連結して、個人的世界代表、家庭的な世界代表、民族的な世界代表、国家的な世界代表、このような多くの数を経て、終着点を代表する一つの代表者としてすべて結束させなければならないのです。