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第三章 復帰摂理歴史と神観の変化 : 一 旧約時代、神様は天使であった : 1.旧約時代は僕の時代であった |
人間が堕落することで無原理圏内に落ちました。どの程度落ちたのでしょうか。神様の僕である天使にも劣る世界に落ちました。主人となるべき、王子王女が僕にも劣る位置に落ちたのですから、再び上がらなければならないのです。それゆえ僕の僕の道理から始めて、僕の道理、養子、庶子、こうして直系子女まで、次に母を通じてアダム(父)の位置に戻らなければならないのです。復帰です。救いの摂理とは病気になる前の健康だった基準に戻すのと同じです。病んでいなかった位置に戻らなければならないのです。それゆえ救いの摂理は復帰摂理です。復帰摂理はむやみにするものではありません。とにかく「信じれば救われる」そのようにはなっていません。
人間は堕落しましたが神様に背くことはできないので、僕の僕の立場から上がっていかなければなりません。それでは「僕の僕」というのは何を意味しているのでしょうか。主人がいないということです。堕落した人間は「僕の僕」の立場から神様に忠誠を尽くさなければなりません。サタンは天使長だったのであり、神様の僕でした。その僕の前に引かれていった人間であるがゆえ、人間が神様の前に戻ってくるには「僕の僕」の立場から神様の前に忠誠を尽くしたという基準を立てなければならないのです。
旧約時代は祭物を犠牲にして、神様が僕として使うことのできる人を探し求める時代です。それが旧約時代です。人を失ったので反対になったのです。人が万物より低くなりました。人が万物より悪くなったので、神様の前により近い万物を二つに裂いて、お前の所有物、私の所有物として分けたのです。このように分別的な祭物を立てなければならなかった事実は誰のせいかというと、神様のせいではなく、サタンのせいでもありません。人間が責任分担を果たせなかったからです。それを知らなければなりません。サタンの血統を受け継いだのは、人間が責任分担を果たせなかったからなのです。
摂理的に見ると、旧約時代前、ヤコブ以前は僕の僕の時代であり、ヤコブからイエス様までは僕の時代であり、イエス様以後は養子の時代であり、再臨の時期は息子の時代です。息子の時代がくるので、息子に父母がいなければなりません。それゆえ父母の時代を経て神様のもとに帰るのです。
旧約時代は僕の時代でした。僕の僕の位置にいる人間を僕の位置に復帰してくる時代でした。それゆえアブラハムも僕であり、息子にはなれませんでした。神様は僕の僕を立てて、忠誠の道理を立てられました。そしてこの歴史的な世界人類を引っ張って糾合させて、世界的な悪の舞台を天の側に占領しながら神様の摂理を発展させてきたのです。ヤコブも神様の息子として勝利したのではなく、僕の立場で勝利したのです。神様がこのように僕の僕から、僕の位置に復帰し、僕の位置から養子の位置へと復帰しながら摂理してこられたのです。
歴史的な復帰路程を総括的に見ると、神様は今まで蘇生、長成、完成の三段階を通して摂理してこられたということが分かります。旧約時代の僕の時代、新約時代の養子の時代、成約時代の真の子女の時代を越えて、真の父母の時代になるという復帰路程なのです。旧約時代の全人類に対する救いの摂理は僕の立場での救いでした。それゆえこの時代は、初めから終わりまで残って勝利することができる中心を立てなければ、僕としての復帰基台を立てることができませんでした。それゆえ神様はノアやアブラハムなどの中心人物を立てて四千年という歴史を導いてきながら多くの犠牲を払われました。
旧約時代は何をしたのでしょうか。この世がサタン世界となったので万物を犠牲にして天の側の人を立て、僕を求めました。神様の僕。養子を探すこともできません。僕の僕を探し出すのです。サタン世界の人々はみんなサタンの息子、娘となっているのに、それを奪ってくることができるでしょうか。ですからサタン世界で落胆した人を集めて引っ張ってくるのです。惨めです。廃品を収拾してきます。廃品を収拾してくるので、そのままではできません。犠牲にならなければなりません。祭物の過程を経なければなりません。
天はサタン世界の僕の子にも劣る人を連れてきて、神様の世界の僕の僕にしようというのです。それが旧約の役事です。ヤコブとエサウを闘わせたのもそれです。ノアもそれです。遠い異国に連れていって、隔離された位置に、疲れ果てたところに天はサタン世界の僕の僕の子をつれてきて神様の僕にするのです。
神様がサタンの僕にも劣る人間をご自身の僕として立てようとされたのが、旧約時代の摂理でした。
サタンは一方では人間を怨讐のように扱います。人間はサタンの僕にもなれません。このような人間を神様の僕にする役事をしたのが旧約時代です。ここから再び僕を養子に、養子を直系子女に、子女を兄弟に、兄弟を新郎新婦として祝福して、真の父母の位置にまで行くようにしようというのです。神様を中心とした真の家庭を失ったので、これを取り戻すのが復帰です。イエス様を真の父母の位置に登場させるのが子羊の宴です。
神様の僕を立てて、私がお前の父だと教えてやりました。僕を遣わし、天使を遣わして教えてあげました。次に息子に役事させました。その時代が新約時代です。その次は聖霊に役事させてきました。
今まで神様の願いは、人間が万物と因縁を結び、神様と因縁を結ぶことでした。それゆえ神様は堕落した人間を僕の立場から始めて養子の位置を経て、子女の位置、そして父母の位置まで引っ張り上げるということをしてこられました。それは嘆かわしい堕落の因縁を切り捨てて万物と人間と神様が、一体の因縁を結んで神様の喜びが人間の喜びであり、人間の喜びが万物の喜びになるようにしようというのです。神様は息子、娘のために生き、息子、娘を万物世界と天使世界にまで誇り、見せてやりたかったのです。
考えてみてください。旧約時代はイエス様が来るまでの四千年です。当時、祝福という言葉がありましたか。神様の名で家庭を祝福することができましたか。僕の時代だったので僕である天使長圏内にいるのです。天使長は結婚することができないのです。独身生活をしなければなりません。独身生活です。神様が家庭をもつことができず、神様の息子、娘が結婚できないのに、僕が結婚することができますか。そんなことができますか。