第二章 神様と創造の役事 : 五 神様が万物世界を造られた目的 : 5.自然を愛し、人を愛しなさい

 自然を愛し、人を愛することができなければなりません。人を愛することができず、自然を愛することのできない人は、神様を愛することができないということを知らなければなりません。万物は神様の象徴的存在であり、人間は実体的存在であるゆえに、万物と人間を愛することのできる人は、神様を愛するようになるのです。

 いつも自然を愛さなければなりません。自然を愛さなければならないのです。また、人間を愛さなければなりません。人間の中でも五色人種をみな愛さなければなりません。「私は白人だけがいい」。神様はそうでしょうか。それならばみな白い衣服ばかり着なければなりません。色のついた服は全部捨てなければなりません。黒い服をなぜ着るのですか。色のついた服をなぜ着るのですか。矛盾しています。

 元素も微物もすべて愛の道を行くのです。神様と一体となることのできる愛と直接に接することのできる細胞を求めていくのです。それが人間です。ですから、愛のためには犠牲にならなければならないのです。投入しなければなりません。生命と財産をすべて投入した伝統があるがゆえに、低級のものはより高級なところへ自分のすべてを投入しようとするのです。それゆえダーウィンの進化論ではなく、愛を中心として吸収する論理です。第二の価値的な内容を創造するときに創造要素として適用されるならば、微物としてよりもどれほど価値的な内容が上がるかというのです。

 神様の造られたすべての存在を愛の対象として感じなければなりません。すべての微物まで愛し、人はもちろんのこと、天にあるものまですべて、無形のもの、有形のものを愛することができ、愛されることのできる皆さんにならなければなりません。朝、鳥がチュンチュン鳴くならば「このすずめめ、ゆっくり寝ようと思ったのにどうしてチュンチュン鳴くか」と言うのではなく、「ああ、有り難い。私を起こしに来てくれたんだ。大事なお客さんが私を迎えに来るのをお前が知らせてくれるのか」と考えなければなりません。思想が違うのです。これが偉大なのです。これが。

 神様は人間世界を造ると同時に天使世界を造りました。それでは天使世界とはどのような世界でしょうか。人間が一つの結実のために、花のような存在として美を備え、香りを放ち現れるときに、初めて愛の巣が完成するのです。それゆえすべての生命力はそこから出発するようになり、すべての生命の因縁を持った存在がそこから和動できるようになるのです。このように和動できるようになる起源が正に人間なのです。 そのような人間を中心として、天にいる天軍天使たちが人間と、蝶と蜂のように互いに授け受けることができる和動の主体圏を成すようになったなら、それこそ神様が喜ばれ、人間が喜び、天使が喜び、全被造万物が愛に浸る和動の花園になったことでしょう。また春の宴が始まったことでしょう。