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第二章 神様と創造の役事 : 三 アダムとエバを通じた愛の理想 : 2.夫婦は第二創造主の位置 |
夫婦が一つとなって息子、娘を生むことによって永続することができます。ですから創造した創造主の位置に上がって息子、娘を生んでみることによって神様が創造した喜びを平面の世の中で感じることができるのです。それゆえ自分の妻は息子、娘のようでなければなりません。息子、娘と兄弟の立場を合わせたものです。ですから分かれることができません。愛はそういい加減にはできていません。息子、娘を生んでこそ神様が本来の創造理想として願った本然的基準に到達するのです。それゆえ家庭が天国の基盤です。
このように夫婦が息子、娘を生んで父母の位置に上がることによって、神様の位置で神様が人間を創造するときに、どれほど喜ばれたかを体恤するのです。天地の大主体であられる神様の権限のすべてを相続することのできる位置に入り得る体恤的環境をもって、体恤的内容として伝授してあげるのが息子、娘を生産することです。息子、娘を生産して大切に育てて結婚させるまでが母親と父親の責任です。神様がアダムとエバを育てて結婚させなければならなかったのですが、できなかったのです。アダムとエバも息子、娘を生んで結婚させることができませんでした。この恨を解かなければなりません。これが教育の原論になるのです。結論は簡単です。
人間は横的な父母の立場に立つのです。アダムとエバは子供であると同時に兄弟です。兄弟であると同時に夫婦であり、夫婦であると同時にのちに息子、娘を生むことによって神様の位置に上がるのです。息子、娘を生んで愛するということは、神様が人間を創造して喜んだすべてを相続することなのです。
神様がアダムとエバを創造したのと同じように、創造主の立場でその喜びを感じさせるためのものが子女なのです。子女はアダムとエバによる第二創造物です。無形の神様は有形の実体としてアダムとエバを造りました。アダムとエバが完成すれば、神様の有形実体の完成として愛の中心代表となります。その神様がアダムとエバを創造して喜びを感じたのと同じように、実体的に神様の創造の喜びを感じることができるように、体験させるために与えたのが子女だというのです。
神様が理想的な宇宙の円満な家庭理想を完成しようと、子女と兄弟と夫婦と父母の立場を備えて自分の愛を相続させようとされるのです。愛をもっているがゆえに私を第二の創造主の立場に立てるのです。それが息子、娘です。息子、娘はそれほど貴いのです。
女性が子供を妊娠すれば新しい世の中が生じるのです。その子供が活動を始めるとたくさんの夢を見ます。女性はそうでなければなりません。神様が創造されていたその夢、夢は多いのです。「将来この子が大きくなってこうなったらいいのに」というのは、神様が創造しながらアダムとエバを準備したその思いに似たものです。女性の立体的夢はそのようなものです。「私一人ではない。天下が私の息子、娘の手の中にあり、私の懐で育つのだ」このように考えながら愛を中心として天下を呼吸しているのです。
子供を生む立場は、結婚から上弦世界を占領するのです。神様の位置に上がることによって子女を愛することは、神様が創造以後に人間をいかばかり愛したかという内縁を体恤させることです。
神様はなぜ人を造ったのでしょうか。愛の相対が必要なので、横的な繁殖の基盤として人を創造したのです。
アダムとエバが神様のように愛してこそ、そこに神様が臨在するのであり、アダムが勝手に、エバが勝手にしてはならないのです。完全に一つとなってこそ無形の神様がここに往来するのです。そうして神様の愛の冠を、愛のふろしきをかぶせようとするのです。それが理想です。そうしてこそ神様がにおいをかぎ当てるのです。神様はどこへ行ってもくんくんとにおいをかぐのです。
それでは神様も口づけするのを好むのでしょうか。無形の神様は二つが一緒に合わさっているので刺激を感じません。愛も一つとなったり離れたりします。夫と妻が最初、死ぬか生きるかというほど愛しているときは、雷が鳴り、稲妻が光るように愛するのです。次は雨ののちに雲が晴れるように、愛が一度燃えたのち、再びゼロに戻るのです。そうですね。一度燃えてからゼロに戻るではないですか。結婚生活をしたことがないのですか。どうして笑うのですか。
神様は二性性相の中和体であると同時に、格としては男性格をもっています。神様の父格の愛に対し、相対的立場にあるのが男性であるがゆえ、これは垂直関係です。垂直関係。女性は垂直関係ではありません。女性は何でしょうか。垂直の相対となる横的関係なのです。神様の人格を中心として格に従って見るとき、男性は縦的関係である上下関係であり、女性は左右関係である横的関係です。それでは縦が先でしょうか、横が先でしょうか。縦が先なので先の位置に近づこうとするのが、すべての自然の道理が追求して求める道なのです。それゆえ神様の愛を中心とすると、娘よりも息子なのです。こうしてこそすべて整理されるのです。
女性には一カ月に一度ずつ生理がありますね。誰のためですか。子孫がどれほど貴いかを知らなければなりません。アダムとエバを造った目的は天国の民を生産することです。霊界では生産ということがありません。神様は縦的な愛の主人であるがゆえに、縦的なことにおいて軸が一つしかありません。一点しかないのです。一点では生産することができないので、横的な面積が必要なのです。それで人間と一つとなって天国の民をたくさん繁殖して委譲するというのが神様の創造目的です。このようなことを聞くのも初めてでしょう。
天国の民の生産者が夫婦であるということを知らなければなりません。それゆえ人間を創造しないわけにはいかないのです。これが天国の息子、娘、神様の息子、娘です。結ばれ得る天の皇族を中心とした連結を拡大して天国の民を、この地上に私たち人類始祖の肉身を通じて天国の民を生産するための基地だったということを誰が知っているでしょうか。
アダムとエバの二人が愛するのを御覧になった神様は孤独な存在ではありませんでした。御自身の中に内在した愛の素性というものが、こんなにまで強力なものだったのかと相対的な喜びを感じるのです。
皆さんが愛するのを神様が見るでしょうか、見ないでしょうか。天下時空を超越する神様がこの世界五十億人類が愛する夜に、目を閉じるでしょうか、どうでしょうか。見ているとすると、気分はどうでしょうか。善い婦人、善い夫がどれほど多いでしょうか。考えてみてください。あらゆることが繰り広げられるでしょうに、仕方なく妻の役割をして、仕方なく引かれていって、仕方なく機嫌をとって、そのように暮らすものではありません。それがどうして愛といえるでしょうか。それが人生ですか。世の中がすべて神様の願った創造理想どおりに、花の香りが漂うエデンの園のように蝶と蜂が飛び回り、天地が和動しながら暮らすことのできる環境となり、神様がそこに酔って眠ることができたらどんなにいいことでしょうか。そう考えたことはありますか。一度そのように暮らしてみてください。
神様は夫婦の立場に至ることができず、父母の立場に至ることができませんでした。これを復帰しなければなりません。そのためには真の父母が来なければなりません。真の父母が来て、縦的な父母と横的な父母となって初めて神様が創造当時に理想的子女を繁殖したのと同じように、そのすべてがこころで実るのです。神様は縦的創造だけをしましたが、霊肉の実体が完成した位置にあるアダムは、横的創造をすることができます。神様は息子、娘の二人しか創造できませんでしたが、神様に代わって実体の父母の立場に立った人間は、アダムとエバを無数に生むことができるのです。十人生むこともできれば、二十人生むこともできるのです。しかし神様はそうすることはできません。このように横的な拡大の道を中心として多くの民が生まれて、天国の民として移っていくのです。
真の御父母様は数多くの宗教の結実です。神様の創造の偉業を代表することのできる結実です。歴史の終着点であり、宗教の目的であり、人類の最高の希望です。すべてがここに帰結するのです。ここは自由です。個人解放、天上天下がすべてここで解放されるのです。これらすべては愛から統一天下が繰り広げられるのです。