第三章 「真の父母」の必要性 : 第五節 真の血統は「真の父母」を通じてこそ :

 我々に必要なは誰かというと、「真の父母」です。偽りの父母から出発したのを、「真の父母」から出発させなければならないのです。偽りの父母とは何かというと、偽りの愛から、偽りの生命、偽りの血統を受けたのです。
 これをひっくり返さなければなりません。それで「真の父母」の愛を中心として、真の生命と真の血統をどのように受け継ぐかというのです。言い換えれば、生命の種を過って受けたために、どのようにして再び本然の種を受けるかということです。
 この問題を考えるようになるとき、「真の父母」がいなければ受けられないために、この地上にメシヤが来られ、そのメシヤの種、「真の父母」の新しい生命の種をもってきて、再度注入して、接ぎ木しなければいけないのです。これを通じて、本然の真のオリーブの木の位置に帰るのです。簡単なことです。
 それで、神様は本当に我々の父母です。ですから、どれほど近いですか。縦的な父母が神様であり、「真の父母」は横的な父母として理想の愛を成すのです。

 アメリカ政府を御覧なさい。民主主義。民主主義は兄弟主義です。それゆえ、けんかしているのです。それで、「父母がいなければならない。父母がいてこそ、けんかをやめることができる。このような悲惨な中において必要なものとは父母主義である。神様主義、神様を中心とした主義だ!」と宣布したのです。どんな父母ですか。そのような父母は、サタン世界にいません。サタン世界にいる父母とは正反対です。それがいわゆる「真の父母」というものです。
 なぜ、「真の父母」が必要なのでしょうか。サタンの愛、生命、血統の基盤を清算するために必要です。どのようにして男女が、そのような位置に落ちましたか。それは、生殖器のためです。生殖器! 本来、生殖器は愛の王宮です。そうではないですか。今、その愛の王宮がどのようになっていますか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であるものが、そのように貴いものが人間の生殖器です。これが汚いものですか。聖なるものなのです。
 それが堕落によって、汚いものになってしまいました。本然の神様の観点から見れば、それは汚いものではなく、聖なるものです。最も貴いのです。生命、愛、そして血統がここにつながっています。このように聖なるものを、サタンが汚しました。