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第三章 「真の父母」の必要性 : 第二節 世の中の父母と「真の父母」 : |
皆さん、世の中で皆さんをよく生んでくれた両親は、どのような立場にいますか。トゥルー・ペアレンツ(真の父母)という言葉の反対のイーヴル・ペアレンツ(悪の父母)という概念に該当するするのです。では「レバレンド・ムーンがトゥルー・ペアレンツなら、我々のリアル・ペアレンツ(実際の父母)はイーヴル・ペアレンツだという言葉ではないか」と言いますが、それが問題です。
堕落しなかった世の中に、「おお、あれは私の息子、娘だ!」と主張し得る息子、娘がいましたか。一つの新しい父母を探すために、昔の父母を捨てなければならない、そのような概念がエデンの園にありましたか? (いいえ)。なぜ、このような運命の中に生まれましたか。なぜ、このような運命をもって生まれましたか。その運命は、神様がつくったのではなく、サタンがつくりました。堕落したために……。悪魔がつくっておいた世の中なのです。
そこでサタンは、全部分けておいたのです。父母を分けておき、息子、娘を分けておき、家庭を分けておき、国家を分けておき、世界を全部こっぱみじんに分けておいたのです。そのように分けておく日が終わりの日なのです。終わりということは末世です。これを知るべきです。
世の中の終わりの日になれば、新しい日が出発します。我々の原理で言って、終わりの日でありながら新しい理想が出発すれば、神様はどうするでしょうか。分かれたものを全部統合してくる運動をするのです。
トゥルー・ペアレンツとは何ですか。肉親の父母と「真の父母」と何が違いますか。「真の父母」とは何ですか。何をするのが「真の父母」ですか。何の愛を教えてくれるのが「真の父母」ですか。愛を中心として言うとき、肉親の父母と「真の父母」とは何が違いますか。愛に対する概念が違います。愛の概念が違うのです。皆さんの肉的な父母は、肉を中心とした愛を教えてくれるのであり、霊的な父母は、霊的な世界を中心とした愛を教えてくれるのです。内容が違うのです。
皆さん、肉的な父母だけいればいいのに、霊的父母がなぜ必要なのですか。堕落したためです。今まで、堕落した父母が何を教えてくれたかというと、自分を中心として絶えず下がっていくことを教えてくれました。それで、父母の愛を中心として、サタン世界に永遠にいるようにするための一つの決定的な線が引かれました。これを断つ道はありません。
「真の父母」が生まれれば、神様を中心として愛するために、「真の父母」が愛するすべてを神様は愛さざるを得ません。それを知るべきなのです。原則がそのようになっているのです。それで、「我々はサタン世界で生まれたが、『真の父母』に従おう! うちの親よりも、うちよりも、うちの息子、娘よりも、真の御父母様の国とその家庭がもっといい。より良いものが神様の愛だ!」と言いながら、従おうとしなければなりません。
「真の父母」が愛するようになれば、いくらサタンが引いていこうとしても駄目です。神様と真の御父母様の愛の圏は、本来の世界の理想圏であるために、この息子、娘をサタンが取っていくことはできないのです。
統一教会員たちの中には、五色人種が、みないます。皆さんにも父母が、みないるでしょう? それは、どのような父母ですか。ノーマル・ペアレンツ(通常の父母)です。その次に、統一教会のトゥルー・ペアレンツ(真の父母)がいます。ではトゥルー・ペアレンツは、スペシャル・ペアレンツ(特別な父母)ですか、ノーマル・ペアレンツですか。皆さんの父母とは違います。
皆さんの通常の父母は、レバレンド・ムーンの所に行こうとする皆さんを拉致しようとし、皆さんは、特別な父母の所に行こうとして大変な騒ぎです。しかし、特別な父母は目をつぶって、このようにじっとしているのです。「来なさい」とも言いません。「来るなら来て、来ないなら来なくていい」と言うのです。
皆さんの通常の父母は、強引に通そうとして「レバレンド・ムーンは、サタンである、異端だ!」と大騒ぎしますが、「真の父母」はじっとしているのです。しかし、皆さんの父母は、「我々は特別な父母だ」と、そう言うのですか?
先生は、三時代の父母です。旧約時代、新約時代、成約時代の父母だというのです。それで「真の父母」なのです。皆さんは父母の名前で祈りますが、皆さんは父母の名前で祈ってはいけないのです。御父母様の名前で祈ることができる人はたった一人の方、先生しかいません。それをはっきり知りなさい。教えてあげなさい。
では、皆さんを生んでくれた父母と、「真の父母」と、何が違いますか。同じではありません。皆さんの父母は、一時代の父母の位置にいますが、先生は三時代、霊界や、現世や、これから生まれる人や、すべて三時代圏内の父母の位置にいるというのです。それは、芽と根です。ここにつながったのです。
皆さんの父母は、枝の父母です。分かりますか。枝について芽が育つでしょう? ですから、その父母はその時代の枝の父母ですが、先生は三時代の父母なのです。根の時代の父母にもなり、幹と枝、葉の時代の父母にもなるのです。分かりますか。
それで、いつも「真の父母」という言葉を忘れてはいけないのです。私が父母の名前で祈るので、全部先生に従うのだからと、「御父母様の名前で祈ります」と言いますが、大ざっぱなのです。それは原理に引っ掛かるのです。分かりますか。それを知らなければならないのです。
そうなれば、どんなことが起こるでしょうか。父と母が「父母だ」と言うので、子供が、「うちの親は誰だ? 何が違う?」と、このように考えるのです。それで混乱が起きます。そのようになってはいけません。ですから、それは一代に対する父母であり、先生は三時代の父母の内容を備えているのです。茎です、茎。茎の父母です。ですから、先生に対しておじいさんも「父母」と言い、お父さんも「父母」と言い、孫も「父母」と言うのです。三時代、三段階です。何の話か分かりますか? (はい)。それをはっきり知るべきなのです。
それゆえ、御父母様は勝手にできないのです。根を離れては勝手にできないのです。「ああ、枝が歩き回ればいい」と言いますか、そのようには言えないのです。
根が勝手にできますか。芽が勝手に行くことができますか。枝が恋しいのです。億千万年その枝を守ることが、どれほどもどかしいですか。そうではないですか。この位置で、これがどれほどもどかしいですか。一つの位置に、枯れて死ぬほどあるのです。そこには自由がないのです。ですが、枝は勝手に通えるのです。そのようなことを知らなければなりません。