第二章 メシヤと「真の父母」 : 第一節 歴史と「真の父母」 : 四 復帰摂理歴史は「真の父母」を探すための歴史

 神様のみ旨に代わって、この地上に現れるべき「真の父母」とは、どのような方でしょうか。
 サタンの世界と闘い、万物を主管し得る立場を収拾して、人間世界を主管しているサタンを壊滅させなければならず、霊界とも対決して、数多くの霊人たちまで主管できる絶対的な位置を構築しなければならない方です。「真の父母」には、そのような使命があります。
 それで、神様は万物から人間、天までつながった一つの世界を復帰するために、今まで「真の父母」を送ることのできる道を築いてこられたのです。
 我々は、復帰原理を通じて「真の父母」が現れるためには、真なる息子、娘がいなければならず、真なる息子、娘が現れるためには、真なる僕がいなければならないといういことを習いました。
 そして、神様の復帰歴史を見ると、僕の時代を経て、子女の時代を経て、父母の時代を迎えることができるように、神様が役事してこられたことが分かります。また、僕の時代から、養子の時代、子女の時代を経て、父母の時代まで復帰してくる間、霊界にいる霊人たちも協助してきたということを、我々は原理を通じて習いました。

 外的に一国家の基準を超えて、世界的な基盤が備わる前には、「真の父母」はこの地に来ることができません。それで神様は、ノアとアブラハムを経る二千年摂理歴史の期間があったのち、ヤコブをして初めてイスラエル民族を形成し得る基盤を築くようになさいました。そして、その民族を通じて国家を形成するようになさいました。それまで、数多くの歴史路程を経てきながら、御苦労されたのです。
 そうするためには、個人の立場で神様に代わってサタンと対決して勝たなければならず、養子の立場で神様に代わってサタン世界と戦って勝たなければならず、直系の息子、娘の立場でも神様に代わってサタン世界と戦って勝たなければなりません。そうでなければ、「真の父母」を迎えることはできません。それゆえ、摂理歴史は旧約時代から新薬時代を経て、今日まで長い歴史を経てきているのです。
 このように、僕の立場を復帰し、養子の立場を復帰した基盤の上で、直系の息子、娘の立場を復帰し、すなわち勝利の基盤を築いておいたのち、「真の父母」の因縁を立てようとすることが、神様がこの地上にメシヤを送られた目的でした。
 イスラエル民族の不信で、神様が四千年間準備なさった僕の基盤が崩れ、養子の基盤も崩れました。そえrで、二千年前に来られたイエス様は、僕の立場で戦って勝利され、養子の立場で戦って勝利され、直系の息子の立場まで進まなければなりませんでした。これがイエス様の立場であったことを我々は知っています。

 養子の立場と直系の息子の立場を経たのち、イスラエル民族を基盤として、「真の父母」の因縁を立てておいて行くのが、神様がイエス様を送られた目的でした。また、それをイエス様がこの地上に来てなさるべき使命でした。ところで、イエス様が十字架にかかって亡くなられることによって、全体的な基準で勝利の基準を築くことができず、霊界を中心として「真の父母」の因縁を開拓してこられたのです。
 ところで、まだ個人的な位置、家庭的な位置、民族と国家的な位置をつかめずにいます。ただ、天のみ旨に対する個人と家庭と民族と国家を立てて、今まで回りに回ってきたという事実を、み旨を知った我々は知っています。
 この世界的な時代を迎えて、天は必ず、約束されたように新郎となる主を送ってくださるでしょう。それで、新婦を選ばれ、真なる勝利の基盤を築かれるでしょう。「真の父母」の位置は、本然の創造目的の位置であるために、そのような位置を築くため、神様は今まで六千年闘ってこられたのです。
 それゆえ、六千年の復帰摂理歴史は、この「真の父母」を迎えるための歴史だと言っても過言ではありません。その「真の父母」は、六千年の摂理史全体に代わる方です。それで、その「真の父母」を探し出せなかったことが、人類全体の悲しみであり、苦痛であり、悲哀であったということを、我々は知るべきです。

 人類歴史は何の歴史かといえば、「真の父母」を復帰する歴史である、と言うことができます。「真の父母」を復帰せずには、真なる子女が存在し得ず、真なる子女の信念を立てる前に、真なる家庭と真なる氏族と真なる民族、国家、世界、天宙が存在することができません。神様は、今までこの基準を立てるため、六千年という長い歳月を苦労してこられました。
 今から二千年前に来られたイエス様は、この地上に初めて「真の父母」の栄光として来られた方でした。ところで、イエス様が「真の父母」として現れるためには、どうしなければならなかったのでしょうか。「真の父母」は歴史的な結実体であるので、イエス様が歴史的な結実体として立つためには、一面的な勝利をしても駄目なのです。息子の使命だけを果たしても駄目なのです。父母の使命を果たさなければならなかったのです。
 イエス様はこの地上で、肉的には息子の立場を復帰する路程を経ていかなければならず、霊的には父母の立場を復帰する路程を経ていかなければなりませんでした。このように、両面的な立場で責任を果たして、神様と一つになり得る起点を立てなければなりませんでした。
 そうするとき初めて、その起点は、個人的イスラエルの基盤になり、家庭的なイスラエルの基盤になるのです。民族的なイスラエルの基盤になり、国家的イスラエルの基盤になり……。このようになっていたならば、霊的・肉的に「真の父母」の基準を立て得たはずなのに、イスラエル民族がイエス様を不信することによって、そうすることができませんでした。

 本来「真の父母」は、創造原理を見れば、霊的・肉的に神様の祝福を受けた人でなければならないのです。ところで、イエス様はイスラエル民族の不信によって、「真の父母」になることができませんでした。イエス様は、霊界に行かれても、「真の父母」を迎えるための基盤を築いてこられたのです。
 この言葉は、どういう意味ですか。この地に再び来られる主は、霊的な父母の立場を復帰しなければならず、肉的な父母の立場を復帰しなければなりません。これを御存じのイエス様は、それで今まで二千年間、霊界に行き何をされたのかというと、再び来られる主が霊界から迫害を受けないで、蹂躙されることのない基盤を築かれました。イエス様を中心とした霊的な社会、国家、世界的な基盤を築かれました。
 イエス様は、地上ではなく霊界で摂理してこられたので、キリスト教を信じる人たちはすべて、霊的な父母と因縁を結んできたのです。
 この地に再び来られる主は、イエス様が洗礼ヨハネからすべての祝福を相続されたのと同様に、イエス様からイエス様の霊界で築いておかれた霊的な個人、家庭、国家、世界的な基盤を相続しなければなりません。そのような立場を経ずしては、「真の父母」の因縁をこの地に立てることはできないのです。

 地上で霊的な相続の基準を立てるのが原則です。イエス様が、再び来られる主に霊的な基盤を相続するようになるとき、地上のキリスト教徒たちが再び来られる主と一つになれば、地上で相続の基準を築くことができるはずですが、今までキリスト教徒たちがそのような基準を立てておくことができなかったために、霊的な勝利の基盤を、来られる「真の父母」の前にそっくりそのまま移すことはできなかったのです。
 それによって、再び来られる真の御父母様は、再度霊的な相続の基準を復帰し、肉的な相続の基準を復帰する闘争歴史を経ていかなくてはならなかったのです。
 本来、神様が六千年間摂理されたことは、来られる「真の父母」の基盤を備えて、当代に勝利の基盤を築かせるためだったのに、この地上にいる聖徒たちが霊的な父母の命令に一致団結して従うことができず、その命令に歩調を合わせられなかったことによって、今までイエス様の築いておかれた霊的な基盤を、再び来られる主が相続する基準が立たなかったのです。
 それで、再び来られる主、「真の父母」となられる方は、再び霊的な世界から、個人的試練から、家庭、氏族、民族、国家、世界的な試練を受けなければなりません。その試練に勝って、内的勝利の基準を立てずしては、地上に実体的な勝利の基準を立てられないので、内的な闘いをしてこざるを得ないのです。

 神様は復帰摂理を、なぜなさるのでしょうか。本然の父母、すなわち「真の父母」の因縁を立てるためです。では、「真の父母」はどのような方でしょうか。「真の父母」は、神様が臨在し得る実体聖殿です。皆さんは、これが実際に実感できますか? その価値が、どれほど大きいでしょうか。皆さんの家ぐらいになりますか? でなければ、皆さんの体、皆さんの息子、娘、皆さんが暮らしている国、世界と同じですか?
 ところが、神様を知るのに、自分の家のたんすの中に入っている廃物よりも劣ると思っている人たちがいるのです。そのような人たちが、神様に「福を下さいませ!」と言っています。そのような人たちを通じて、神様のみ旨が成され得るでしょうか? 神様のみ旨が成され得るかというのです。皆さんは、それを知るべきです。