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第二章 メシヤと「真の父母」 : 第一節 歴史と「真の父母」 : 一 堕落と「真の父母」 |
今、人類の終末時代が来ていますが、これは何かというと、民主と共産が交差するのです。サタン世界の全権時代が来て、全世界に澎拝していたものが、みな狂うようになれば、行く所がありません。そうなれば下っていくのです。70パーセントになれば下っていきます。七千年の歴史を中心として蕩減するのです。
この七千年が問題です。第一次大戦も、70パーセント、ドイツが勝ったのです。日本が「大東亜戦争」と言った第二次大戦も、70パーセント以上勝利しました。そうなれば、そこから下り始めるのです。このように、みな原則的な公式を通じて、歴史も発展するということを知らないでしょう。
このように、偽りの父母として生まれたので、これは曲折が過ったのです。その上に、父母を中心として、このようになるべきなのに、このようになったからこれを解かなければなりません。個人的に解かなければならず、家庭的に解かなければならず、氏族的に解かなければならず、民族的に解かなければならず、国家的に解かなければならず、世界的に解かなければならず、天宙的に解かなければならないのです。
今日、我々が暮らすこの世界に、「真の父母」を迎えましたが、この地には「真の父母」の息子、娘だけが暮らしているのではなく、堕落した父母の息子、娘も暮らしています。本来は、「真の父母」の血肉を通して神様の愛する息子、娘になるはずだったのですが、堕落によって堕落した息子、娘になってしまいました。それで、我々人類始祖が過ったことを解怨成就してあげるために、再び来られる父母が再臨主であり、救世主というものです。
その方が来たならば、前もって生んでおいた長子を復帰しなければなりません。その長子が庶子のようになりました。血筋が変わりました。本然的な愛を通して神様の血統を受け継ぐべきでしたが、堕落することによって他の血筋を受け継ぎました。だからといって、神様は捨てることはできません。
これは、庶子のようです。野生のオリーブの木です。この野生のオリーブの木の畑を悪魔が支配するので、神様が野生のオリーブの木を自分の所有にしなければいけないのです。これを強制的に強奪するのではありません。銃剣でするのではありません。自然屈服できる環境を中心として、冷遇されて打たれ、一つずつ奪ってくるのです。
今日キリスト教が世界的な版図を成すまで、どれほど犠牲の代価を払ったか知れません。殉教の祭壇に絶えず犠牲になった悲惨な祭物の喚声が、地球上に響きわたらなかった所がない、そのような歴史を経てきたのです。その血の祭壇が連続し、今日、目前にまで到達した歴史的な恨がもつれているということを知るべきです。これを受け継いで解怨すべき厳粛な歴史的な課題を抱いている我々は、神様を解放し、キリスト教を再度解放しなければなりません。
堕落とは何かというと、悪魔の偽りの愛と、偽りの生命、偽りの血統が蒔かれたものだというのです。ここの男たち! 男に愛がありますか、ありませんか? (あります)。生命がありますか、ありませんか? それは、血筋、先祖から受け継いだものでしょう。それで、この男は、歴史の始めの先祖から受け継いだ愛の結実であり、生命の結実であり、血統の結実だというのです。
それが何かというと、サタンの愛と、サタンの生命と、サタンの血を受けた、神様の怨讐になり得る立場にあるものだということです。これを振り切って脱ぎ捨てなければ、地上に平和はやって来ないのです。それで、レバレンド・ムーンが「真の父母」の理想をもって出てきたのです。
「真の父母」は、何をするのでしょうか? この偽りの愛をきれいに清算して、個人、家庭、氏族、民族、国家が分立し得るよう、平和と反対となる悪魔の要素をきれいに清算するために闘争したのです。