第一章 「真の父母」とは : 第六節 我々が知るべき「真の父母」の語義 : 四 「真の父母」という言葉は恐ろしい言葉

 統一教会の恐ろしい教えとは何でしょうか。それは「真の父母」という言葉です。これは、神様も怖がる言葉であり、サタンも怖がる言葉です。我々人間は、サタン圏内にいる人間であるために、「真の父母」を中心として見るとき、その「真の父母」に従っている人たちは、その方のみ言によって審判を受けるのです。
 このような方が出てこなければいいのに、出てきたために審判をしなければいけない立場に立つので、神様がその方の言葉を聞いてあげるのです。また、サタンがなぜ「真の父母」という言葉を恐れるのですか? この言葉を信じて従おうものなら、自分のすべてが破壊されてしまい、破綻してしまうためです。それで、彼には極めて恐ろしい言葉になるのです。
 サタンは、いつも「真の父母」の行く道を妨げ、倒れるのを願い、悪くなることを願う立場にいます。ですから、皆さんがこの道に従っていくのに、どれほど信じて従うかということが問題になるのです。皆さんが、そのような先端に立ったなら、一歩一歩、行動一つ一つに千年以上の精誠を尽くして、感激しながら行こうとしなければいけないのです。それが今日、皆さんの行くべき道であることを知るべきです。

 私は、「真の父母」の名前が、どれほど恐ろしいかということをよく知っています。私は平穏な位置を探すために生きる道を取ったのではなく、このみ旨の使命を完結させるために、今まで闘ってきました。
 過去を回想すれば、事情も多く、無念なこともたくさんありましたが、あなたの事情、あなたの無念さに比べられないことが分かったので、ひざまずいて涙をあなたの前に見せられない、恥ずかしい姿であることが分かるのでございます。そのようなことを感じる私の心をお分かりになり、この日を期して、天上世界と地上世界の門を開いてくださいませ!

 問題は何でしょうか? 真ということ、すなわち「真の父母」ということです。「真の父母」とは何でしょうか? 「真の父母」という言葉は、そんなに簡単な言葉ではありません。一番恐ろしい言葉です。その言葉が、どれほど恐ろしい言葉か分かりません。
 この「真の父母」という言葉一言のために、歴史が左右されます。この言葉を見つけ出すために、今まで数多くの先烈たちが犠牲の道を行きました。連続的な血の闘争を経て、身もだえし、絶叫しながら希望を抱いて探し出した名前が、「真の父母」という聖なる名前です。
 「真の父母」の前には、真の子女がいなければなりません。それで、皆さんが真の子女になりましたか? 考えてみてください。皆さんが真の子女ですか? 真とは、過去にも、現在にも未来においても、変わらないものです。