第一章 「真の父母」とは : 第六節 我々が知るべき「真の父母」の語義 : 三 「真の父母」という言葉は驚くべき言葉

 皆さんが知るべきことは、我々は堕落したことによって、我々の故郷を失ってしまったということです。また、国を失ってしまい、世界を失ってしまったのです。さらには、神様まで失ってしまい、神様の愛までも失ってしまったのです。このような膨大でとてつもないすべてを、再び探し得る一つの起源とは何かというと、「真の父母」という驚くべき名詞なのです。
 神様から見れば、今まで歴史的に願ってきた摂理の目的とは何でしょうか? 「真の父母」の基準です。人類が堕落した以後、今まで蕩減歴史をしてきたのは、何をするためでしょうか? 「真の父母」を探すためです。数多くのキリスト教徒たちが、今まで一日の願いをもって再臨の日を待つのもこのためであり、数多くの宗教が、全部この一日を願っているのもこのためです。このような事実を考えてみるとき、「真の父母」が生まれたのは、恐ろしくも驚くべき事件であることを知るべきです。
 皆さんが故郷に行こうとするのは、そこに父母がいて、兄弟がいるためです。父母を中心として連結した愛がある所なので、故郷をしのぶのです。そのような故郷を抱いている国、そのような故郷の愛が連結し得る国を、人々は「自分の祖国だ」と言っています。一般的に、祖国というのはそのようなものです。
 そのような面で、本然の人を中心として見るとき、我々には故郷もなく、祖国もないのです。過去にもなく、現在にもないのです。あるといっても、それは悪とかかわりのあるものであって、我々とは何ら関係もないものです。真とは関係がないのです。

 統一教会の「真の父母」という言葉は、驚くべき言葉です。偽りの父母は、サタンの愛を中心として落ちましたが、「真の父母」は神様の愛を中心として上がるのです。愛の世界に前進していくのです。分かりますか、分かりませんか? (分かります!)。
 では、なぜ我々がその愛を探そうとするのでしょうか? 愛というものは、偉大なものです。永遠に平等なものです。愛という名前だけ聞けば、いくら高い位置にも、一度に同参することができる資格をもつのです。女が字を一字も知らず、男が世界の大学者でも……。

 統一教会では、「真の父母」という言葉を遣っています。これは驚くべき言葉です。「真の父母」とは何ですか? 偽りの父母が生まれたので、「真の父母」が出てこなければなりません。「真の父母」は何をすべきでしょうか? サタン世界の根となる過った血統を正すべきであり、過った生命を取り返すべきであり、過った愛の道を開かなければなりません。
 聖書に「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」ありますが、そのような逆説的な論理が、なぜ出てこなければならないかというのです。サタン世界では、死ななければなりません。

 先生はハンサムではありませんが、変わらない希望があるとするなら、神様のみ旨を追及しようとすることです。その世界的な目的の基準、その定着点が何かといえば、「真の父母」です、「真の父母」分かりますか? 「真の父母」です。
 では、神様のみ旨の完成とは何でしょうか? 創造理想の完成とは何でしょうか? アダム・エバが愛の理想を成して、直接主管圏内で父母の位置に立ち得たことが、理想的な基準ではなかったかというのです。み旨の完成の位置ではなかったかというのです。
 皆さんは、先生がこの地上に「真の父母」という名前をもって来たことが、どれほど驚くべきことかを知るべきです。分かりますか? 「真の父母」という言葉! 世の中の言葉の中で一番福となる言葉とは何でしょうか? 堕落した人間においては、国を失って捜すことよりも、世界を失って捜すことよりも、「真の父母」という言葉を捜すことが、一番福となるのです。それは、天地の何よりも貴いということを知るべきです。