第一章 「真の父母」とは : 第六節 我々が知るべき「真の父母」の語義 : 二 「真の父母」という言葉は誇るべきでありとてつもない

 今まで我々継代の立場は、どのようなものでしたか? 我々の千万代の先祖たちがみな復活して、その復活した栄光を褒めたたえるとしても、それは堕落圏を脱し得ない栄光であり、褒めたたえでした。
 しかし、今日統一教会で言う「真の父母」という言葉は、どのようなものでしょうか? たとえ皆さんの立場は悲惨であっても、数限りない先祖たちと共に、あるいは万民解放圏をもった栄光の位置で褒めたたえられること以上の価値をもった、誇るべき言葉であるという事実を皆さんは知るべきです。御父母様に出会った中で、神様に会うことができる道が連結するのであり、統一教会に出会ったこの位置は、遠くない将来に、神の国と御父母様の願う祖国を探し得る道が連結されているという事実を知るべきです。
 今まで人類は、生まれた国が違い、文化背景が違い、国境を境にして自分たちの祖国だと言いながら、歴史的な先祖たちが暮らしてきて、今の我々の暮らし、後孫たちも暮らすでしょうが、それはすべてが堕落圏であることに間違いないのです。
 皆さんは、その堕落圏をけって出て、今日の勝利を先祖たちと共に、自分の一族と共に、未来の後孫たちの前に誇り、高く褒めたたえ得る、愛の祖国を探すべきです。その愛の祖国の中で、愛の父母をもつことができ、それだけでなく、祖国の中心である神様がいらっしゃるなら、神様に侍ることができるというときは、それ以上の栄光の位置はないというのです。皆さんは、それを知るべきです。

 メシヤは、神様の愛を完成したアダム格であるために、本然の父の資格者として来るのです。
 それゆえ、その父を中心として、母がセンターになり、神様の本然の愛を中心としたその基盤を中心として、個人、家庭、氏族、民族、国家基準までの所有権が、真の愛を中心としてメシヤのものとなった以後に、国家のものであり、国民のものであり、家庭のものであり、個人のものであるという所有権版図が広がらなければならないのです。
 ですから、メシヤの本然の愛が、個人から国家まで初めて形成されて、ローマと世界までその波紋が伝播されていたなら、今日の再臨の思想は必要なかったのです。
 このように見るとき、アメリカは神様の愛の圏に属した国でしょうか? どうですか? (違います)。御覧なさい! この地球上に、そのような過程を通過した国があるでしょうか? (ありません)。そうなのです。キリスト教を中心とした数多くの教会が、このような神様の愛の原則に一致した所有権に属しているかというとき、どうですか? (属していません)。絶対にありません。天国が地上にはないのです。
 このように考えるとき、歴史を通じて、「真の父母」という言葉がどれほど偉大で、どれほどとてつもないかを知るべきです。
 これだけが、堕落圏のサタン世界を貫いて、上がっていくことができる一つの基地です。ですから、「真の父母」という言葉が現れるようになったことを有り難く思うべきです。その言葉だけを千回聞いて、万回聞いても感謝して余り得る内容だということを知るべきなのです。