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第一章 「真の父母」とは : 第五節 「真の父母」とは何か : 二 「真の父母」の定義 |
統一教会で言う「真の父母」とは何ですか。これが問題です。アダム・エバが堕落しなかったなら、どのようになったのでしょうか。堕落しなかったなら、神様が縦的な愛となり、アダム・エバは何かといえば、神様の体になったのです。神様の体と同じなのです。神様は骨のようであり、アダム・エバは肉のようなものだというのです。神様にも心があり、体があります。分かりますか? (はい)。
それで、皆さんは誰に似ましたか? (神様に似ました)。神様と……? ([真の父母」に似ました)。真の人、神様とトゥルーマン(真の人)に似ました。と言ってもそれは、アメリカ大統領のトルーマンではありませんよ。(笑い)
神様は、内的な場で内的な父母になり、アダム・エバは、外的な場で外的な父母になります。内的・外的父母が一つになったその場で愛がつづられて……。内的父母に侍るようになり、外的父母をもつようになります。神様と人間が愛で結ばれることにより、「真の父母」、完成した人間が成就されるようになっていたというのです。愛で結ばれないなら、完成人間はいないのです。
それが何かというと、本然的な我々の先祖なのです。神様が創造された本然の人間です。そのような人から我々が生まれるのです。そのような神性をもった人により、我々が生まれなければならないのです。それゆえ、我々は神性を帯びた神様の性稟をもち、人性を帯びた父母の性稟をもつのです。
ですから、アダム・エバの完成は、どのように成るのでしょうか? 神様の愛に結ばれてこそ完成するのであって、これが結ばれなければ駄目なのです。神様の縦的な愛と横的な肉的愛が、一点で結ばれたのが、正に我々の先祖の血統の根です。分かりますか? (はい)。そこが、我々先祖の血統です。そこから全人類が生じるのです。
堕落のために、男の愛、女の愛、神様の愛がみな分かれました。堕落によって、男の愛、女の愛、神様の愛が結ばれませんでした。
堕落しなかったなら、自動的に結ばれます。男女は自動的に愛で結ばれます。なぜ、男女が一つになろうとしますか? 愛のためです。愛で一つになったのちに、何をしようと言いますか? 「神様の祝福を受けよう」と言うのです。それが目的です。
摂理の時代を見れば、復帰摂理は、終わりの日を通じて成されるのです。終わりに近づけば近づくほど、宗教の目的が成される時代が来るのです。その宗教の目的が成され得る最後の時が、父母様が現れる時だというのです。
その父母は、「真の父母」ですが、「真の父母」という方はどのような方なのでしょうか。これが問題です。「真の父母」という方は、我々の原理が教えてくれているように、原理結果主管圏と直接主管圏、すなわち間接主管圏と直接主管圏を経て、責任分担を完成した位置で、神様の愛を中心として一体の理想を成した父母です。歴史上初めて、神様と人間が愛を中心として一体の理想を成し、神様の愛の理想が、初めて地上に「真の父母」の家庭を中心として着陸し始めたのです。
堕落することによって、この「真の父母」の理想が壊れてしまったのです。アダム・エバが責任分担という使命を前にして原理結果主管圏、すなわち間接主管圏から直接主管圏に橋を架けて、これをすべて完結しなければならなかったのに、そうできなかったのです。それによって、サタンがこの間接主管圏内を侵害し始めたのです。これを知らなければなりません。これを知らなければ、あの世へ行って登録できないのです。
真なる父母とはいったい何でしょうか? (愛の中心です)。この宇宙が生じて以来初めて、真なる愛、理想的な愛がスパークし得る出発点だというのです。これを知るべきです。それで「真の父母」と言うのです。
では、真なる父母の前には、何の息子、娘がいなければならないでしょうか? (真なる子女がいなければなりません)。では、真なる子女は、何のために真なる子女ですか。その真なる父母の最初の愛を受けるに十分な内外の美をもった息子、娘であるために、真なる子女なのです。
トゥルー・ペアレンツ(真の父母)、トゥルー・ウーマン(真の女)とは何で、トゥルー・チルドレン(真の息子、娘)とは何でしょうか。全部「トゥルー」を出して入ってこなければならないのです。根を、神様を中心として連結しなければなりません。
愛をもって、上にいる神様が下に行くとき……。愛は直短距離を行くために、その道は一つしかありません。バーティカル・ライン(垂直線)は、一つしかないという結論が出てくるのです。
統一教会で言う「真の父母」という言葉は何ですか。トゥルーペアレンツ(真の父母)とは何ですか。神様が「真の父母」を指名されたのです。神様が「真の父母」を指名した、それはどういう意味ですか。それは、神様の愛が初めて人間世界に着陸したということです。「真の父母」が起点だということです。それを知るべきです。
では、着陸した「真の父母」がレバレンド・ムーンなら、レバレンド・ムーンがアメリカに来て、「真の父母」になりましたか。どこで「真の父母」になりましたか。どこで、どこで……? (韓国です)。何ですって? (韓国です!)。韓国を誰が知ってくれますか。ですが、知ってくれても、知らなくても、砂漠でも木の枝でも、岩の塊でも、神様の初愛が着陸した所は、貴い所になるのです。
「真の父母」とは何でしょうか。神様の愛を核としたその愛を中心として、アダム・エバが完全に絶対的に一つになって、出発し得る最初の我々人間先祖だったのです。それをはっきりと知るべきです。「真の父母」を知らなければ、「真の子女」ということは分からない、という結論が出てくるのです。
歴史的な核心になり、時代的な核心になり、未来の核心になる人とは誰でしょうか。言い換えれば、歴史について見るときは、歴史的な実であり、時代について見るときは、時代的中心であり、未来について見るときは、未来的な起源になり得る、世界的な主義思想の中心とは何でしょうか。それは、真なる男と、真なる女です。
では、その真なる男と真なる女の生活観とは、どんなものでしょうか。世界のために甲斐をもって生きるのです。二人が愛するのは、世界のために愛するのであり、息子、娘を生むのも、世界をもっと愛し得る動機をつくるために生むのです。
このような思想が、我々が主張している思想なのです。このような内容を皆さんが細密に知っているか分かりませんが、私が知っている立場で見るときは、横的に、すべての立体的な世界を中心として見ても、縦的な世界、歴史全般を中心として見ても、必ず歴史は、その基準で解明されなければいけないのです。それは、自動的な結論として出てくるのです。
堕落の起源になる所はどこですか。アダム・エバ、すなわち一つの父母から始まりました。アダム・エバが堕落して、偽りの父母になったことによって、すべて問題が起きるようになったのです。このために、心情問題、血統問題、人格問題、言語問題、生活問題、国家問題、世界問題が生じたのです。
では、これを一度に蓄積させることができ、このすべてを総合することができる真なる基準は、どこから始まるのでしょうか。これは、ある宗族圏内で成されるのではなく、社会圏内とか、国家圏内で成されるのではありません。世界圏内でも絶対不可能なものです。すべての問題の起源が、偽りの父母から始まったために、真なる父母の因縁を中心としてのみ、復帰され得るのです。
「真の父母」という名詞を中心としてこそ、初めて神様の心情と一致し得るのです。「真の父母」を中心として本然の血統が始まり、「真の父母」を中心として本然の人格が始まり、「真の父母」を中心として言語が本来の位置に帰り「真の父母」を中心として生活が本然の形態に帰り、「真の父母」を中心として本然の国家形成が起こり、「真の父母」を中心として本然の世界が成されるのです。
では、この全体を総集約した核心的な母体とは何でしょうか。「真の父母」です。「真の父母」お一方によって、すべてが決定されるのです。それゆえ、その方のすべての思想を自分が全部引き継がなければなりません。その心情、その人格、その生活観、その国家観、その世界観を全部引き継がなくては、中心となる位置に立てないのです。
「真の父母」を抜いては、教育もあってはならず、生活の基盤もあってはなりません。分かりますか。「真の父母」と完全に一つにならなければならないのです。
一つになることとは何かというと、「『真の父母』の生活が私の生活であり、『真の父母』の理念が私の理念であり、『真の父母』の仕事が私の仕事であり、『真の父母』の愛の圏が私の愛の圏である」と、このようにならなければならないのです。皆さんはそうなっていますか?