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第八章 「三大主体思想」と「真の父母」宣布 : 第四節 御父母様の写真を奉ること : 二 御父母様の写真の威力 |
今までは、長子権復帰を中心として、アベル・カインのために犠牲にならなければならなかった時であったために、霊界が地上世界を利用してしまいました。しかし、第31回「子女の日」を中心として、霊界と肉界を全部交替するのです。今は長子権が復帰されたために、アダム圏が中心になって長子権になるのです。それゆえ、天使長はアダムの言うことを聞かなければならず、侍らなければならないのです。そうでしょう?
これが逆さまになることによって、今は霊界が地球上にいる統一家(食口)を中心として……。昔には、人類が文総裁に反対して、「殺すべき人だ」と言いましたが、今は、文総裁を尊敬する基準にあるために、悪魔が来て「協助しろ」と言っても協助できないのです。自分の側に率いていけないのです。文総裁を紹介してあげて、案内してあげるのです。
それゆえ、家庭を探し立てなければなりません。それがどこで振り返るべきかというと、家庭です。家庭で堕落したでしょう? それで、世界的な蕩減を、個人から始めて、先生の家庭を中心として、氏族を中心として、世界的版図のカイン・アベルに全部勝利して、長子権をもって帰ってくるのです。
勝利したこのすべての価値をどこに立てるのですか? アダムは全体価値の中心です。アダムを失ってしまったことによって、神様の家庭を失ってしまい、神様の社会、神様の国家、神様の世界、神様の天宙、神様の愛まで失ってしまったのです。これを全部蕩減して、今は家庭に帰るのです。すべての家庭が、万民平等の家庭基準に立つのです。
この家庭を中心として帰るとき、誰を中心として帰るのですか? 全部先生を中心としてついていくのです。ここに悪魔はついていけません。悪魔は血統的に汚れた者ですが、こちらは堕落世界の血統を清くした者です。それゆえ、ここには祝福を受けた家庭たちが入るのです。家庭の天国の長子権になっているので、過程の天国の次子権は無数なのです。これは、皆さんが自由に管理できるようになっています。摂理的にそうです。
今、その家庭を探して入っていくのです。それゆえ、統一教会の家庭たちが基地になりなさいというのです。そうするためには、食べて暮らす費用、貯金通帳にあるものを全部はたいて使わなければなりません。本来はそうです。あなた方、いつ私が全部検閲するかというのです。家は買えません! 何の話か分かりますか? こうして国のためにすべてを捧げなければならないのです。そうすることによって、宇宙と交替するのです。
これが天の原料です。その日をつかむためには、高い原料一つが必要なのです。皆さんがそのような原料になりなさいというのです。それで、各家庭に入っていって定着するのです。
イスラエルの国で羊を捕まえて、その血を塗ることによって災いをみな越えたでしょう? それと同様に、その家に先生の写真さえあれば、サタンが侵犯できないのです。先祖たちが明け方にやって来てあいさつして、その家を霊人たちが全部引っ張って回るのです。自分の心を全部コントロールするのです。こうすることができる時が来たのです。
これから三つの運動をしなければなりません。まず、入会願書を書いて、その次には真の御父母様の写真を奉って、教会の旗を立てなければなりません。その三つを、みなしなければならないのです。
その三つをするようになれば、何でもできるというのです。旗は統一教会を代表するもので、その次に先生の写真は何ですか? 「真の父母」です。その次に入会願書は何ですか? 入籍です。入籍できる国が生まれるのです。そこから出発が繰り広げられるのです。
「真の父母」を中心として、「真の父母」に侍るということは、「真の父母」と我々の家庭が一つになったということです。では、旗は何ですか? 世界的統一教会を指す環境的代表です。相対的代表なのです。旗は、自分個人の代表でもありますが、夫婦も代表するのです。我々の家庭も代表しましたが、我々の氏族も代表し、我々の国も代表するのです。統一教会全体、超人類を代表したのです。
その旗を絶対的に立てなければならないのです。旗を立てるようになれば、イスラエル民族がエジプトから出てくるとき、長子が全部虐殺されたのを、羊の血を塗ることによって死を免れたのと同じようになるのです。ちょうどそれと同じです。
モーセとイスラエル民族が、蛇にかまれて死んでいくときに、銅の蛇を見た人たちは生きたでしょう? 同様に、サタン世界が滅びていくとき、イエス様を信じることで生き返りました。何のことか分かりますか。今、この地上でサタンがもったすべての権限を奪ってくるためには、旗を立てて、「真の父母」の写真を奉り、入籍さえすれば終わりです。所属がもう変わるのです。
それゆえ、今年に入って特別に先生が強調することは、御父母様の写真を奉ることと、旗を立てる運動です。それがもう3年目でしょう? そのような時が来ることが分かるので、このようなことを始めるのです。
それゆえ、入会願書をもらいなさいというのです。そして、入会願書をもらうときには、「お願いします!」と、あいさつをしなければなりません。分かりますか? 何の話か分かりますか? サタンがアダムに屈服しなければ救われません。その次には、御父母様に侍るのです。今まで「真の父母」に侍れなかったではないですか。「真の父母」に侍らなければならないのです。自分の父母の写真よりも、先祖たちの写真よりも、「真の父母」の写真を一番良い所に奉らなければならないのです。
自分のおじいさん、お母さんの写真を貴く思うことはいいです。しかし、自分の父母の写真をまず置いて、その横に「真の父母」を奉ってはいけないのです。先祖です。先祖。先祖を設定するのです。そうではないですか? そうすることによって、平面的家庭基盤からの伝統的基盤を中心として、機械が回り得るのです。そこはサタンと関係がないのです。原理がそうではないですか?
この宗族的メシヤは、誰々は行って、誰々は行かないということはできません。しなければ、自分の一族が引っ掛かるのです。この地上で後孫たちがこれをしなかった人は、あの世に行くようになれば、先祖たちが堕落したアダム・エバを呪うことの何百倍も呪うだろうというのです。それには、先生は責任はもちません。讒訴するのを、「するな」とは言えないのです。しなかったら、讒訴されなければならないでしょう。人間に与えられた5パーセントの責任分担があるでしょう? その責任分担ができなければ完成がないのです。
サタン世界でも父母の写真を掛けるでしょう? 終わりの日が来たから、天の父母を奉って教育の材料として使うのです。文総裁が有名です。国のための愛国者だという言葉は、既成教会の牧師だとしても、みな認めるべきでしょう。行って聞いてみなさい。愛国者です。また、私が成した功績には、天下がみな頭を下げるのです。ですから、「あの写真を掛けた以上、あの方の前において、夫婦同士けんかもむやみにできない! 文総裁の教えとは何か?」と考えるのです。
息子、娘の前でも、教育をしなさい。「おい、おい、あの文先生の前では駄目だ!」と、そう言うのです。自分の父母の写真以上に奉ることによって、先祖たちが来て先祖として侍るのです。分かりますか? 先祖たちが来て、その家に侍ることができる祭壇になるのです。そうすることによって、天上世界の福を受けることができる道があるために、明け方3時になれば自分たちは寝ますが、一家の周辺のサタン悪魔をすべて追い出すのです。
また、「旗を立てなさい」と言ったでしょう? 写真を掛けて、旗を立てれば、みな終わったのではないですか? 部屋の中に先生の写真を掛けて、統一教会の旗を立てればそれは天国の一族ですか、サタンの一族ですか? 天国の一族になるのです。天国の一族にしてあげるのです。
今回、旗を立てることについて呪えば、雷に打たれた人が多かったでしょう? 本当に不思議でしょう。先生を指差すと手が病気になって、このように持ち上げて、夜に祈って悔い改めてこそ治るという、そのようなことが起こるではないですか?
なぜそのようなことが起こるのですか? 天運が訪ねてくるのに、個人の運勢では妨げられません。これは宿命的な道です。運命的な道は東西南北を交換して対することができますが、宿命の道は、上下は上下で、左右は左右です。交換することはできません。
それで、写真を掛けなさいという言葉は、大韓民国に時が来たためです。今までの堕落した世界は、偽りの父母で因縁づけられたので、「真の父母」を中心として侍れば横的に接ぎ木されやすいのです。お分かりですか? 家庭でできるのです。
そうしなければ、国を経て、世界を経て、こちら側に帰ってきて、接ぎ木しなければなりません。それで、私が愛の心を、万民の求道の心をもったために、その立場で接ぎ木することができる環境をつくってあげるので、どれほど幸福でしょう! 言うことを聞かなければ、悪口を言ってでもつけさせなければならないのです。そうすることによって、天の一族になり得るのです。モーセの杖を眺めた人は、みな行きました。統一教会の旗を眺めてみて、行くたびに敬礼して、来るたびに敬礼して、写真を見て行くたびに敬礼して、来るたびに敬礼すれば、生きるというのです。