第八章 「三大主体思想」と「真の父母」宣布 : 第二節 「真の父母」宣布 : 二 「真の父母」宣布の基準

 厳格にいえば、先生の故郷は皆さんの故郷ではありません。枝と芽と葉はみな同じですが、我々のある位置が自分の故郷と同じです。それゆえ、皆さんがこのように氏族復帰決定ができれなければ、皆さんの故郷はないのです。
 故郷がない人は、生まれることができません。ですから、父母復帰ではないですか。三代を中心として、氏族的メシヤ圏を完成しなければなりません。家庭を中心として、蘇生、長成、完成は、先生を中心として接ぎ木することによって……。
 責任分担完成圏、直接主管圏と間接主管圏が一体化し得る基盤を誰かが準備して、「神様の愛を中心として、あなたと私とこの被造世界はあなたのものだ」という宣布式をしなければならないのに、それができなかったのです。それゆえ、神様の所有権が決定できずにいるのです。その所有権は、完全にサタンの愛を中心として……。
 神様の愛を中心として一つになって宣布式をしなければならないのに、原理型の偽物の立場のサタンの愛を中心として一つになって宣布式をすることによって、サタンの所有になってしまったのです。

 民主主義もけんかをするのです。兄弟同士けんかをするでしょう? 兄弟同士けんかをするのは、近所の町内の人がけんかするのより、もっと恐ろしいのです。なぜそうかというと、一人は東なら一人は西なのに、東西の位置が合わなければ、その横が近いではないですか。東も南と北が、西も南と北が近いではないですか。近いのです。兄弟同士けんかをすれば分かれるのです。
 ところで、近所の人同士でけんかをしても分かれないのです。ふろしきを包んで逃げないのではないですか。そうでしょう? けんかのうちで一番よこしまなのが、兄弟同士のけんかなのです。
 兄弟主義の時代において、二人が争う国は滅びるようになっています。大韓民国はけんかをしますか、しませんか? お兄さんが誰か分かりません。弟が誰か分かりません。なぜ分からないのかというのです。どこで生まれたのか分からない無礼な者として生まれたために、父が現れてこそ、父母が現れてこそけんかをしないのです。それで、父母主義の救世主が来るのです。それゆえ、民主主義時代には、けんかは終わりませんが、父母主義時代に来てこそ、けんかが終わるのです。
 今日、統一教会が「真の父母」を発表しました。エデンの園で、アダム・エバが堕落しなければ、神様も「真の父母」であり、アダム・エバも「真の父母」になったでしょう。神様は縦的な「真の父母」であり、アダム・エバは横的な「真の父母」です。縦横が一致した「真の父母」なのに、それを見るようになれば、東西南北が、みな同じです。上を下にもってきて、下を上にもってきて、西を東に、東を西に、どこにもってきても、みな合うのです。
 アメリカがアメリカのための立場に立っては、世界を取り戻せません。転換させられません。共産主義も、k表三主義を主にしてはいけません。世界のための共産主義にならなければなりません。民主世界もたたえる共産主義になり、共産主義自体もたたえる共産主義にならなければならないのです。「みな良い!」と言える主義にならなければなりません。それが何の主義ですか? 兄弟同士けんかする輩たちが、けんかをやめるためには、お母さん、お父さんが現れなければなりません。
 そのような意味で、今日よこしまなけんかの場が繰り広げられた、過ったこの世の中に、先生が「真の父母」を宣布しました。「真の父母」宣布を世界的にするためには、個人的「真の父母」、家庭的「真の父母」、氏族的「真の父母」、民族的「真の父母」、国家的「真の父母」、世界的「真の父母」、天宙的「真の父母」、神様と人間を中心として、神様も「真の父母」、「真の父母」自身も「真の父母」と言うことができる位置まで行かなければならないのです。そのような言葉を発表したという事実は、歴史的なことです。
 「真の父母」を宣布するとき、五十億の人類の三分の一は率いなければならないのに、この情況は何ですか? 原理がそうなっていますか? それゆえ、私が、三分の二は条件に掛けておいてするのです。日本も私に引っ掛かり、アメリカも私に引っ掛かり、中共も私に引っ掛かりました。ソ連は私に引っ掛かりませんでしたか? 引っ掛かりました。
 父母の時代が来れば、けんかは終わります。八十になり、百歳になった兄弟同士も、九十歳になった兄弟同士がけんかをしても、お母さん、お父さんが来れば飛び出さなければならないのですか、けんかを続けなければならないですか。千年、万年待っていた父母が来るというのに、どのように飛び出さなければなりません。
 今日の世の中の人たちも、イエス様を信じる人たちも、救世主が来るのをどれほど願いますか。救世主とは何か分かりますか。求める「求」の字、税金の「税」の字(注:韓国語では「世」と「税」は同じ文字になる)、主人の「主」の字です。それが救世主です。税金があるでしょう? それが何ですか。このごろで言えば、けちんぼうです。そんな輩ではないですか? それも救世主というものです。
 文総裁は、愛を通じて占領しました。そうです。何の愛ですか。自分のための愛でなく、人のための愛をもってです。