第八章 「三大主体思想」と「真の父母」宣布 : 第一節 「三大主体思想」と「真の父母」主義 : 三 「三大主体思想」の骨子

 今はソ連が私の手に捕まるようになりました。アメリカの手には捕まらなくても、私の手に捕まるようになったのです。また、アメリカも同じです。ソ連の手には捕まりませんが、文総裁の手には捕まるのです。アメリカを右手に、ソ連を左手につかんだのです。今や終わりの日になったので、そのまま行こうが、地獄に落ちようが、後ろ向きになるのです。
 後ろ向きになるには、何を中心として後ろ向きになるべきでしょうか。偽りの父母が愛の天理に背いたために、滅びの兆しが来てしまったのです。これを「真の父母」によって後ろ向きになるようにして、本然の故郷に帰ることができるようになったのです。
 今、先生について移動して、前進的な路程に回るための総決算時代に来ました。すべてが終わりです。キリスト教も終わりであり、仏教も儒教も全部終わりです。政治も終わりです。それで、これを収拾して、宗教圏を中心としては、「世界平和宗教連合」を結成し、政治圏を中心としては、「世界平和連合」を結成したでしょう? 心が分かれたのを一つにして、世界的に実を結んだのを収めたのです。収めるのに、何を中心として収めたのでしょうか? 「真の父母」の愛を中心としてです。
 「真の父母」と、真の師と、真の主人が、「三大主体思想」の骨子です。この「三大主体思想」をもって、世界の優れた人たちまでも、先生の前にひざまずいて「指導してください」と言うようになっているのです。「自分が主人だ」と言っていた世界の政治家たち、この偽物の主人たちが先生と全部因縁づけられています。その「三大主体思想」とは、誰について言う言葉ですか。先生について言う言葉です。
 では、先生が暮らすには、どこで暮らすのですか。師の立場にだけ立つのではありません。主人の立場にだけ立つのではありません。そうではないですか。大学の総長も、夜になれば父母として家に帰り、大統領も、青瓦台(注:大統領官邸)に帰るのです。万廷の百官を従えたとしても、寝るときは家に入って寝なければならないのです。父、父母になるのです。そうではないですか?
 そのようなことを見るとき、父母が中心です。父母的学校であり、父母的主人の立場です。みな出ていっても、父母の所に帰ってくるようになるのです。帰らないで暮らすことができる所は、父母を迎えた所です。それがすべて、真の愛を中心としてそのようになっているのです。君師父一体という言葉も、そこで成立するのです。先生が今、真の教えを教えているのです。分かりますか? ですから師の中の師でしょう。
 主権者のうちで、愛を中心として治める人がいましたか。それゆえ、皆さんの体と心が、先生と方向を合わせて、千年、万年暮らしたがるのです。本当に統一教会を愛し、また、統一教会で神様を愛し、人類を愛し、人間の根本を愛することができる心をもった人は、先生と離れることができないのです。なぜでしょうか。父母の心情圏、師の心情圏、主人の心情圏をもっているからです。先生を通じれば、父母の立場にも行くことができ、主人の立場にも行くことができ、師の立場にも行くことができます。