第七章 「真の父母」を中心とした生活 : 第六節 「真の父母」の名の威力 :

 聖書で見ると、人間は堕落しました。ですから、神様を解放しなければなりません。堕落によって、すべての自分の所有の息子、娘、自分の夫婦、国と世界まで一遍に失ってしまったのです。それを「真の父母」が来て、万物と子女と家庭と国と世界を収拾して、神様に返さなければなりません。所有者が神様だったのですが、愛の道理において失ってしまったことにより、偽りの愛になってしまいました。
 愛を中心として、所有され得る原則でつくりました。敗亡の愛によって破綻したのを、「真の父母」の愛で収拾して、万物と、子女と、夫婦と、国と、世界を、再び神様の前に奉献してさしあげなければならないのです。
 そうして、神様が「神様の宇宙は、真の愛を中心として神様の所有として取り返すのだ!」と、このように勝利をたたえながら、その捧げられた万物を「真の父母」の前に下さるのです。神様の所有になって、「真の父母」の所有になるのです。「真の父母」の所有を中心として、真の息子、娘の所有になり、これを東西四方に再び分配される世界になるまでには、地上に天国は顕現することができないのです。
 今日、我々がする統班撃破とは何でしょうか? 南北を統一して、神様の名で、「真の父母」の名で、万民の勝利の版図を中心として、大韓民国を全人類の祖国光復として、神様の前に捧げなければならないのです。
 ここには、民主と共産が一つになっています。「真の父母」と偽りの父母を中心として見るとき、神様の前に互いに怨讐ではありません。金日成がまだ死んではいけません。今、金日成と我々の輩が会っています。安企部(注:安全企画部)でもそれを知りません。反共法に抵触するでしょう……。私はそのようなことを、たくさんしてきました。日本にもそうであり、アメリカにもそうであり、ソ連にもそうであり、全部投入したのです。
 それゆえ、統一教会は乞食の輩というのです。なぜ乞食の輩ですか? 統一教会は、既に何十年前にみな捧げました。統一教会の人たちは、家に行ってみれば小さな鍋とくず物しかないでしょう? どこかを、私が見るとします。家具をたくさん入れて置いている家に行くようになれば、子供から整備するでしょう。神様のものとして、みな取り戻さなければなりません。物もみな返してさしあげなければなりません。
 息子、娘のために、自分の父母が下人暮らしをしてはいけません。神様のために、下人暮らしをしなければなりません。「ああ、教会が何だ、みなやめて、大学に行かなければならない!」と、そういう人の子供たちは、私がきれいに人事するでしょう。
 今、南北を一つにして、神様の名で、「真の父母」の名で、歴史的なすべての所有権をサタンから奪ってこなければなりません。そうして、神様の本然的父母の位置に所有権を返還して、そこから歴史的なすべての国の中で、最初の先祖の国として登場させるためのことをしようというのが、文総裁の終着的愛の目的です。