第七章 「真の父母」を中心とした生活 : 第五節 「真の父母」の名で祈祷 :

 神様は、我々堕落した人間にとって、師の中でも一番大きな師です。先生の中でも、大王先生です。それは、神様が知らないことがないためです。また、父母で言うなら、父母の中でも第一の父母です。すなわち、真なる父母です。王としては万王の王です。誰がですか? 神様です。
 神様は、先生の中でも第一に優れた先生であり、父母の中でも第一の父母です。父母の中でも何番目の父母ですって? 第一の父母なら、その父母が偽物の父母ですか、「真の父母」ですか。「真の父母」と言うのです。そのような「真の父母」が、人間が堕落することによって「真の父母」になりましたか?
 統一教会では、祈祷を終えるとき、「真の父母の名によってお祈りします」と言います。神様を中心として見るとき、一番始めに「真の父母」には神様がなるのではないでしょうか。それで、祈祷しながら願うときに、誰を通じて願いますか。何かをするときも、父の名で呼ぶようになっているのではないですか。そうでしょう?
 皆さんが水におぼれているとき、誰によって救ってもらうのを願いますか。救世主が来て救ってあげるというとき、隣の町内のおじいさんが救世主になって救ってくれるのを願いますか。自分の弟が救世主になって救ってくれるのを願いますか。自分を救ってくれる救世主がお兄さんだったら良いでしょうか、弟だったら良いでしょうか。
 誰が来て、救ってほしいでしょうか。自分の妻が救ってくれたらいいですか? 違います。自分の父母が来て救ってくれるのを願うのです。救世主のうちでも、一等救世主である父母が来て、救ってくれるのを願うのです。父母は、子供の苦痛を自分の骨髄に徹して苦痛を知る方であるために、子供は父母である救世主を探すのです。
 皆さんが祈祷するとき、「真の父母」の名で祈りますが、その「真の父母」とは何ですか? その言葉を、先生とお母様だけについて考えないでください。より高い次元で世界を抱き、民族感情や国家感情を越えて、万民を真実に等しく愛することのできる母、父という境地の「真の父母」の基準を考えなさいというのです。それで先生も、「真の父母」の名で祈るのです。