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第七章 「真の父母」を中心とした生活 : 第一節 「真の父母の日」と「真の父母」 : |
皆さんは、みんな先生に関心があるでしょう? 先生がどこかに行き、何か言葉を話すようになれば、全部電話線をつけて回りながら聞かなければならないのです。
皆さんは、この「父母の日」を迎え、今御父母様の苦労がどれほど大きかったか、御父母様の心がどれほど苦痛を受けたかということを知るべきです。今、御父母様について、知るべき時が来たのです。そうでなくしては、伝統が分からないのです。伝統をもつことができないのです。
本来、「父母の日」の理念は、神様の創造理想の中でも中心理念でした。神様が万物を創造されたのち、その万物を主管する人間を創造され、人間に万物を主管せよと祝福された目的も、正に「真の父母」を立てるためでした。
本来は、アダム・エバが神様を中心として一体となり、「真の父母」になるべきでした。そうすれば、「父母の日」が立てられるようになるのです。そうなえれば、全宇宙が父母の名前とともに、頌栄を捧げるようになるのです。このように、「父母の日」は、全宇宙が父母の名前とともに頌栄を捧げる喜びの日なのです。
この日を迎えることが、神様の願いでした。しかし、人間始祖が堕落することによって、このような「父母の日」を失ってしまい、地も失ってしまいました。それで神様は、本来計画されたところを成されるために、「父母の日」を探されるために、今まで経綸して来られたのです。
「父母の日」を迎えるには、まず「真の父母」を迎えなければなりません。その「真の父母」は、歴史を審判し、現在を主管し、未来を開拓なさるべき中心存在であられます。それで、人間が歴史的に羨望してきたのも、「真の父母」を迎えることでした。
我々が民族を探そうとするのは何のためでしょうか。この民族をして、勝利された「真の父母」に侍らせるためです。そして、サタン世界から讒訴されず、天に代わって、地に代わって、人類に代わって国家基準の上に万天宙の前に、孝子、孝女として自由天地を成し、「真の父母」に真実に侍るためです。
今までは、我々が悲しい場で侍り、苦痛の場で侍りましたが、今からは喜びの場で、自由な場で侍らなければなりません。神様が我々の心と共にされることができてこそ、我々が喜べば神様が「そうか、お前の喜びは私の喜びだ!」と言われるのです。そして我々は、全人類が「あなた方の感謝は、我々の感謝です!」と言う、その基準を立てなければなりません。
きょうは、「父母の日」です。この「父母の日」を、皆さんが本当に皆さん自身の「父母の日」として立てなければならず、皆さんの家庭の「父母の日」として立てなければならず、社会の「父母の日」として立てなければならず、国家の「父母の日」として立ててこそ、世界の「父母の日」として立てられるのです。世界の「父母の日」として立てられ、天宙の「父母の日」として立てられてこそ、本来神様が「真の父母」を立てようとなさった創造理念が完結するのであり、人間が堕落によって「父母の日」を立てられなかった恨を解くことができるのです。さらにこの全天上天下に「父母の日」を立ててこそ、復帰の恨が完全に解怨されるのです。
我々が「父母の日」を立て、「子女の日」を立てましたが、個人的な「父母の日」から家庭的な「父母の日」、民族、国家、世界、天宙的な「父母の日」として立てられておらず、「子女の日」もそうです。「万物の日」もやはりそうですが、「父母の日」と「子女の日」と「万物の日」が、世界性をもち、勝利したという基準の前に主管され得る圏内に入ってこそ、初めて天地を創造された神様の、本来の創造目的が完結するのです。
そうなってこそ初めて、「父母の日」が人類の父母の日になると同時に、天の「父母の日」になるのです。また、「子女の日」と「万物の日」も、人類の「子女の日」と「万物の日」になると同時に、天の「子女の日」と「万物の日」になるのです。このような立場に立つようになるとき、初めて天から「みな成した」と言われ得る時が来るのです。
個人的な「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を設定してこそ、この日々がその国家の中心の日になり、世界的な日になり得るのです。これが問題です。