第一章 「真の父母」とは : 第二節 真の起源 : 一 「真」とは

 この天地間に真なる方がいらっしゃるなら、その方は誰でしょうか? 絶対者です。この「絶対者」を、今日我々の韓国語で言うと、「お一人しかいらっしゃらない御主人様」ということです。一人(韓国語でハナ)しかいらっしゃらない御主人様をもっと縮めて言うと、神様(ハナニム)になります。お一人しかいらっしゃらない御主人様が、神様だということです。
 では、神様はどんなお方でしょうか? 神様は、地上の良い人からも好まれ、悪い人からも好まれるお方です。罪を犯して死刑場に出て死ぬようになる死刑囚も、「神様! 私をかわいそうに思ってください!」と言って死ぬでしょう? そうですか、違いますか?(そうです)。
 では、どうして神様の前では、悪いことをして死んでいく立場にある人も、良い心で犠牲になって再出発に希望を誓いながら、その神様の前に最高に寄与し、また頼り、彼と共にいたがるのでしょうか。内心では切に、「父母から離れ、兄弟から離れても、誰よりも近くで事情を通じたい」と言うのです。これは、神様が真であるために、そう言うのです。

 真なる人は、好きな者だけを好むのではなく、自分を殺そうとする怨讐までも好きにならなければなりません。また、彼の前には、すべてを任せることができ、すべてを相談したくもあり、すべてを願うこともできる立場にある人であってこそ、真なる人です。
 では、お嬢さんたち! 今まで育ってきた過程で、憎い人はいましたか、いませんでしたか? (いました)。では、憎い人がいる人は、真なる人ですか、偽りの人ですか? (偽りの人です)。この男性たちも、憎い人がいる人は、真なる人ですか、偽りの人ですか? (偽りの人です)。間違いなく偽りの人です。この世界には偽りの人が多いのです。
 真なる人になろうとする人なら、この両面を備えているべきです。統一教会の輩の中でも、私を好きな人はとても好きで、私を憎む人は積極的に憎むとすれば、良い輩ですか、悪い輩ですか? (悪い輩です)。
 それで、私を憎む人をも好きになろうというのです。私を憎む人を私が好きになれば、その人は嫌がりますか? (好みます)。好むのです。私を憎む人が私に三回以上良く接してあげれば、彼は頭を下げるようになるのです。三回だけ良くしてあげれば、頭を下げます。そうか、そうでないか、一度やってみなさい。人には良心があって、自分が過ったのか良くやったのか、分かるのです。

 皆さん、我が国(韓国)には良い人が多いでしょう? 世の中には立派な人がたくさんいます。偉人もいます。それなら、大韓民国の偉人は誰ですか? 「大韓民国の偉人」と言えば、大概誰を挙げますか? (李舜臣将軍です)。そうですか。李舜臣将軍も偉人です。皆さん、李舜臣将軍が好きですか、嫌いですか? (好きです)。すべての人が好きですか? (はい)。
 では、李舜臣将軍は真なる人ですか、そうではないですか? (分かりません)。分からないでしょう。分からないのに、「好きだ」と言うのです。しかし、先生は好きではありません。私がこう言うから、「おかしい。あの方はなぜああ言うのか? 我が国の忠臣を嫌うとは! それでは、あの人は共産党か、民族反逆者か?」と言うかもしれませんが、私は李舜臣将軍が嫌いです。なぜ嫌いなのか知りたいでしょう? 答えてあげましょう。
 「李舜臣将軍」と言えば、韓国人すべてが、忠臣として知っています。しかし、日本人はどう思っていますか? 怨讐ではありませんか? 日本人は、李舜臣将軍を怨讐と思うのです。これは、日本の歴史の本にも明らかにされています。李舜臣将軍は、日本人の前には怨讐であり、韓国人の前には忠臣だということです。それで先生は、彼が好きではないのです。
 「真」ということは、英国に行っても真であり、ドイツに行っても真であり、米国に行っても真であり、韓国に来ても真であり、アフリカに行っても? (真です!)。日本に行っても? (真です)。真になるべきなのです。ですから、真には怨讐がないのです。真は、好きでない人がいないのです。一方では好きで、他の一方で嫌うのは、完全な真になれないのです。そうでしょう?

 李舜臣将軍が完全な「真なる人」であるなら、日本人も韓国人も共に、偉人、真の人として崇拝すべきです。しかし、真のなる人の基準で見ると、李舜臣将軍は完全な真ではないということです。少しは真になれますが。大韓民国を中心としてみると真ですが、日本を中心としてはそうではないのです。ここに異議がありますか、ありませんか? (ありません)。私は真なる人を願うので、李舜臣将軍のように真になりきれない人は、好きではないのです。
 では、この世の中で真なる人とはどんな人でしょうか? 前に言ったように、悪い人からも好まれ、良い人からも好まれる人です。良い人が一番好きな人を、悪い人は一番憎むべきですか? 悪い人も一番好きな人でなければなりません。ここには良い人と悪い人が混ざっていますが、共に願って希望することは、すべて最高のものです。最高を、みな好むのです。みな好むということは、良い人も好み、悪い人も好むということです。そうでしょう? (はい)。
 それゆえ、「彼は悪い人だから私を嫌う」と言っていては、真ではありません。悪い人からも最高に好まれ、良い人からも最高に好まれるべきなのです。これが真なる人の定義です。真なる人とは、悪い人も一番好み、良い人も一番好む人です。そのような者がいれば、その方が真なる方です。ここに異議がありますか? ないでしょう? (はい)。