第六章 「真の父母」と我々 : 第六節 生命視すべきこと : 三 「真の父母」を愛しなさい

 「真の父母」は、どれほど多くの愛を受けているでしょうか。それを一度でも考えてみましたか。神様が死んだということに対して、抗弁する人がいたなら、彼は「真の父母」を神様が愛する以上に愛するでしょう。
 もし皆さんが、「このような人に会うことができるようにしてほしい」と、神様に祈るなら、それで皆さんがこのような人に会って、「真の父母」を愛するようになるなら、神様も喜ばれるでしょう。「その人が一番賢い人だ」と皆さんが思うなら、霊界にいる霊人たちに絶対に負けません。皆さんが「真の父母」を愛するなら、絶対に負けません。もし、皆さんが霊人たちに、「私は『真の父母』をこれほど愛するのに、皆さんは何をしましたか」と言いながら、彼らを讒訴することができるなら、皆さんが一番の金持ちになるでしょう。
 もし、「真の父母」を互いに「もっと愛する」と食口たちの間にけんかが起きるようになれば、神様がそのけんかを御覧になって何と言うでしょうか。そのようにけんかして、もし一人が死ぬようになれば、神様がどのように審判するでしょうか。考えてみなさい。神様が彼を絞首台に引っ張っていかれるでしょうか。疑いもなく、神様はその二人を呼んで、彼らを「真の父母」を愛するモデルとして立てられ、他の人たちにも彼らが愛したように「真の父母」を愛しなさいと言われるでしょう。これが正に基準です。すなわち、神様と霊人、すべての人たちは、「真の父母」を注視しなければならないのです。今、我々は我々の生活の中で、これを考えなければなりません。
 先生の言うことが事実なら、その問題は重要です。皆さんは、その基準からどれほど掛け離れていますか。今からでも我々は、このことのために祈らなければなりません。「真の父母」に従うすべての人たちは、涙なしには行くことができません。それゆえ、我々の表情が明るくなり得ません。我々は「ため」に生きなければなりません。そして、たとえ我々が最善を尽くすとしても、我々は天に対して申し訳ない心をもつべきです。我々の行動がどうでなければならないかを、皆さん自身が想像できるだろうと思います。