第六章 「真の父母」と我々 : 第五節 我々の成すべきこと : 一 我々の責任

 復帰の道を行く皆さんは、個々人ですが、皆さん個人だけが行く道ではないということを知るべきです。復帰の道を行く皆さんは、いつも「真の父母」に代わって行く自分であるということを肝に銘じなければなりません。そうでなくては、氏族的、民族的、あるいは国家的な「真の父母」の勝利の基盤を備えることができないのです。
 皆さんが正しく「真の父母」に代わって行くためには、「真の父母」が世界的な霊的勝利の基準を立てるために行くので、皆さんは国家的勝利の基準を立てるために行かなければならないということをはっきり知るべきです。霊的には「真の父母」の勝利の基準が立てられたので、地上にも「真の父母」の勝利の基準を立てるべきですが、皆さんが民族的な基準を越えるべき「真の父母」の責任を代行しているのです。
 これを他の面で説明すれば、皆さんが民族的な基準を越えて世界的な基準に向かっていくなら、来られる「真の父母」は霊的に天宙的な勝利の基準を立てなければならないのです。「真の父母」の因縁をもって来られる主は、我々が背負っていくべき十字架を霊的に開拓し、実体的に勝利され、すべてに責任をもっていかなければならないのです。これが父母復帰の難しさであることを、皆さんは知るべきです。
 では、今日、天と地と人間を振り返ってみるとき、天がある一時でも、勝利の「真の父母」に侍ることができましたか? まだ侍られませんでした。地が侍ることができましたか? まだ侍られませんでした。人間が侍ることができましたか? まだ侍られませんでした。その途上にいるのです。
 では、「真の父母」にだけ侍ればいいのでしょうか? そうではありません。「真の父母」に侍った次には、真なる家庭、氏族、民族、国家、世界を復帰しなければなりません。そのために準備したのが、イスラエル民族でした。
 「真の父母」の前に真の子女として立つためには、子女の個人的な復帰路程があるのであり、子女の家庭的な復帰路程があるのであり、子女の氏族的な復帰路程があるのであり、子女の民族的な復帰路程があるのであり、子女の国家的な復帰路程があるのです。父母の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程と、子女の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程を完結し、父母と子女が一体となり、勝利したという基準を立てておいてこそ、初めて民族復帰を終結して、世界的な舞台に向かって新しく出発することができるのです。
 では、今日統一教会の使命とは何であり、統一教会に入教した皆さんは、どんな立場にいるのでしょうか? 先生を中心としたこの統一教会に呼ばれてきた皆さんは、悲痛な六千年の縦的歴史を横的に、実体的に展開しなければならない立場にいるのです。
 我々は、今、何の決心をすべきでしょうか。我々が行くべき目標はどこですか。世界的な基盤の上に「真の父母」の国を立てなければならないのです。世界的な「真の父母」を立てなければならないのです。この世界にいまだ悲しみと苦痛と涙が残っているのですから、これらを我々が一日も早く清算しなければなりません。これが今日統一教会が担っている責任であり、使命であるということを、我々は知るべきです。

 それゆえ、皆さんは、今行くべき道に立ち上がったので、イスラエル民族がカナンに向かっていったときと同様に、後ろを振り返ってはいけないのです。心でもそうすべきであり、体でもそうすべきなのです。
 今我々が抱くべき希望とは何でしょうか。天に代わってこの地に来られる真の御父母様に、本当に侍ることを希望しなければなりません。侍るには勝利の基盤が成されたのちに、万民が仰ぎ見、万民が恭敬するようになった位置で侍ることを願ってはいけないのです。悲しい歴史を経られる「真の父母」に侍るのを願わなければならないのです。
 悲しい歴史を経てきた「真の父母」に侍ることができないことを、先祖たちは恨として考えているのです。「真の父母」に本当に侍ることを、すべての人類が希望するのです。それゆえ、栄光の場で侍ろうとするより、悲惨な場で侍る真の孝子、真の孝女にならなければなりません。
 そのような真の孝子、真の孝女になるためには、難しい場、失望し得る場、悲惨で悲鳴をあげ得る場に立っても、「天よ、私を導かれる天よ、真の御父母様はイエス様よりももっと苦難の十字架の道を行かれるので、父母に侍る私としては、どのように加重された十字架を背負うようになっても当然です。私はそれをたたえますので、天は私のゆえに心配しないでください」と言うことができなければなりません。自分に及ぼされる心配と苦痛と悲しみを天に背負わせないで、自ら蕩減していくすべを知る人にならなければなりませんです。それでこそ、個人的な基準で、個人的な父母の勝利の因縁を接ぎ木することができるのです。
 現在、我々統一教会では、祝福家庭たちが韓国の至る所に広がっています。なぜ祝福家庭たちを韓国の至る所に広げておいたのでしょうか。天は韓民族と韓半島を中心として摂理され、「真の父母」はこの韓国民族、韓半島に来られるのです。そして、来られる真の御父母様を、韓半島のすべての村々が、谷から谷が、山野はもちろんであり、全部が侍りたがるのです。それは、「真の父母」に侍ることが歴史的な願いであるためです。
 それゆえ、子女の立場で個人的な蕩減基準を立て、家庭的な蕩減基準を立て、「真の父母」の身代わりとして、その村と部落が、後悔なく侍りたがる、「真の父母」の実体の身代わりが行かなければならないのです。来られる「真の父母」は、もちろん中心の位置におられ、霊的にすべてのものと関係を結ばれますが、実体は一つなので、全体に対することができないのです。それで「真の父母」の実体に代わって、万民に対する立場に立てられたのが祝福家庭なのです。
 「真の父母」には、この民族を越えて世界的な十字架を背負って行くべき責任があります。それゆえ、民族的な十字架は、地方に広がっている真の子女の立場にある祝福家庭が背負っていかなければなりません。祝福家庭全体が一つの氏族的な基盤、民族的な基盤になってこそ、天の役事は、この民族を中心として勝利の峠を越えることができるのです。

 御父母様を愛して、本然の愛の基準を中心としてサタンを分別し、責任分担、世界完成基準を越えなければなりません。