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第六章 「真の父母」と我々 : 第四節 恩寵と自覚 : 四 「真の父母」の価値 |
神様の摂理の目的とは何かというと、一つの焦点です。神様の理想が実現される場も、正にその場です。我々が、失ってしまった父母、失ってしまった真の御父母様に出会うことができる所も、正にそこです。それで、その基台がすべての中心です。その立場、それが「真の父母」というものです。歴史上に多くの立場がありましたが、この立場が最も価値のある立場です。
それが、どれほど重要なものなのか考えてみなさい。すべての成人たちがこの基台、この問題のために戦いました。神様がこれを重要に考えられ、霊界にいるすべての霊人たちも、そのように考えています。それゆえ、この地上のすべての人類も、これを重要と認識しなければなりません。
皆さんは、これの本当の価値を知ることができませんでした。これは、数千個の国土をあげても替えられません。国土ほどのダイヤモンドをあげても替えることができません。皆さんは替えることができるだろうと思いますか? 替えられないのです。アメリカ全体を神様に祭物として捧げるとしても、皆さんはそれを得ることができません。
一度でも考えてみましたか? 皆さんの目で直接その立場を見ることができるなら、どれほど幸福でしょうか? また、見ることができなければ、皆さんはどれほど不幸な人になるでしょうか? もう一度、じっくりと考えてみなければなりません。それで、神様の目、すべての霊人たちとすべての人たちの目が、ここに焦点を合わせなければいけません。
このような観点で歴史を見るようになれば、歴史というものはないのです。歴史はこれと何の関係もありません。この立場は、堕落する以前の人間の最初の先祖のための立場であるために、これ以後にはいかなる歴史も、堕落したいかなる歴史もあり得ません。
そうであるなら、民主主義の終末はどのようになるでしょうか? 民主主義もこのような観点によって、真の御父母様によって認められ得るということを考えてみるべきです。自らそれを判断してみなさい。小学校の子供でも百点をもらうでしょう。笑うべきことではなく、重要な問題です。では、共産党がどのようになるでしょうか? 彼らには歴史がありません。幼子のように人生観もなく、何らの主観もありません。
ここから新しい内容が出発するでしょう。すなわち、すべての中心、すべての内容、そしてすべての結果がここから出発するでしょう。ここに参与することができる者たちが、地上の最初の勝利者になるでしょう。ここから、神様の愛を中心として、家庭を成し、サタンの主権を追い出し、この地上に新しい天国を建設するために、出発することができます。また、ここから歴史の実が結ばれるようになるでしょう。この立場が全世界の中心点です。
この位置が未来のための出発点になるでしょう。ここから過去の歴史の完成が成されるであろうし、現在の歴史の完成が保全されるであろうし、未来世界の完成が始まるでしょう。この点、この位置をつかむことができるなら、皆さんは一人の人間としてすべてを征服した征服者になることができます。そうであるようですか?
では、価値がどれほど大きいでしょうか? それがどれほど素晴らしいもので、皆さんがそれをどれほど愛し、どれほどたたえ、どれほど尊重し、また、どれほど好むようになるでしょう? この位置は、最高に高い位置になるべきであり、歴史において最高の高い位置に置かれなければなりません。そのすべての偉大な人たち、彼らがいくら偉大だとしても、これには比較され得ません。皆さんがこれを見るようになれば、間違いなくうれしくて感激するでしょう。
皆さんが眠る間に、夢の中で踊りを踊ったことがありますか? 皆さんがこの場、この位置を思うようになれば、そのたびに皆さんがそのような感情をもつようになって、眠りながら踊りを踊ることができるようになります。皆さんは他のどんな位置よりも、皆さんの生命や、他のいかなるものよりも、この位置に心がもっと引かれるべきです。再び見たがり、共に暮らしたがり、これなくしては生きられないというそのような感情をもつべきです。説明を聞いたから、「真の父母」がどれほど貴重かということを理解したでしょう。
父母になるには、天地が和合しなければなりません。天上世界に行って神様に勝ってこなければなりません。何のことか分かりますか? アダムが、神様が違うというのを「イエス」と言って、事実を中心として事実を事実でないことにしたから、事実でないことを事実として肯定させられることをしなくては、本然の基準に入れないのです。
天地間に「真の父母」になるための過程からすべての問題を、実体的に解決し得るその内容が、天地を明らかにするのであり、すべての歴史的な曲折を解放させるのであり、神様の心中に打ち込まれている釘を抜くのです。神様が願う愛の解放は、このような息子、娘を抱いて愛しながら、喜び、踊り、笑うことです。すべてが歓喜に満ちて、千年、万年その喚声が、被造万物から全天地にいっぱいにならなければならないのではないですか?
否定する過去に、肯定的内容を提示せずしては、地上に来られないのです。どれほど深刻ですか。天上世界で孔子と釈迦とイエス様が集まって、このような試験をするのです。それをみな押さえつけてしまい、神様の前に来て、談判するのです。
神様の創造理想には、言葉で言えない心情があります。このみ旨をアダムが完成期に自ら悟って、悪魔を屈服させなければならないのです。解放の主権者にならなければなりません。万国の統治者であり、万民の救いの主人であり、兄弟の長子権を備え得る人がアダムなのです。
サタン世界が反対することとして、40日間霊界が混乱の中に陥るのです。そこでは、神様が審判官であるために、神様から正義の判定を受けなければなりません。そこで文総裁の勝利の判決を受けて、地上に来るのです。