第六章 「真の父母」と我々 : 第四節 恩寵と自覚 : 二 「真の父母」という言葉は福音中の福音

 皆さんがユートピア世界を探そうとすれば、どこへ行くべきでしょうか? 本然の家庭の愛の圏を経ずしては、行く道がないということを知るべきです。先生が原理主管圏内と直接主管圏内を神様の愛と「真の父母」の愛でつないだ基準があるために、今日霊界と肉界が、その愛の橋を通じて往来できる道が生じるのです。これを知るべきです。
 皆さんは、原理を習っているでしょう? 神様が本来つくられたとおり、直接主管圏と間接主管圏に分けられているのです。では、それをどのように一つにするのでしょうか。それは、真の愛だけが可能なのです。これが一つになるときは、人間アダム・エバが成熟するときだけです。そのようなときは、自動的に水平的真の愛が現れるのです。
 その位置で、「おお、あなたは私の同伴者です!」と抱き締めるようになるとき、真の愛がその組の中心に現れるのです。プラスの愛が完成して現れるようになれば、マイナスはすぐに現れるようになっているのです。プラスの愛がマイナスの愛に降りてきて運行するようになれば、真の愛の標準を描いていくのです。そうすれば終わるのです。
 真の愛が現れれば、すべてが自動的についてくるのです。真の愛だけが、すべてに作用するのです。それで、世界がユートピア圏に転換されるのです。
 どこから真の愛が出発するのでしょうか? 「真の父母」から。これは福音中の福音です。世の中にどんな良い言葉があるとしても、夫という言葉が良い言葉で、妻という言葉が良い言葉だとしても、堕落した世界は、「真の父母」がが現れなくては真なる夫と妻が現れないために、「真の父母」以上に良い福音がないというのです。分かりますか。これをはっきりと知るべきなのです。

 歴史過程において、悲しみがあれば、最高の悲しみ、困難があれば、最高の困難、血の代価を払ったなら、最高の代価を払った、その結果として見いだされたのが、この真なる家庭なのです。
 この真なる家庭が見いだされることによって、歴史的な悲しみが解怨成就され得るために、歴史的な死の代価が解怨成就されるために、歴史はこのような悲惨な蕩減条件を払ってきたのです。したがって、この真なる家庭が、この地に顕現したという事実は、我々人類においては、それ以上のものはない喜びであり、それ以上のものはない価値なのです。
 そのような真なる家庭を成すためには、真なる父母がいなければなりません。真なる父母がいなければならないのと同時に、真なる夫婦が成されなければならないのです。真なる夫婦が成されて、真なる子女が誕生しなければならないのです。
 この真なる父母は、サタンの前にいかなる讒訴の条件をも残してはいけません。真なる夫婦は、サタンの前にいかなる讒訴条件に引っ掛かって、うまく場にあってもいけないのです。真なる家庭に属している子女もまた、サタン世界に讒訴条件を残し得る位置に立っては、真なる家庭の息子、娘になり得ません。
 今日皆さんは、「真の父母」という言葉を話し、「真」という名詞を使っています。この「真の父母」という言葉は、歴史時代に、誰も呼んでみることができず、誰も考えられませんでした。しかし、今日我々は、呼ぶことができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように我々は、歴史時代の誰よりも幸福な位置に立っているのであり、歴史時代の誰よりも高貴な位置に立っているということを、皆さんは知るべきです。
 「真の父母」という名前とともに、歴史において今まで苦労してきたし、「真の父母」の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったということを考えるようになるとき、「真の父母」という名詞こそ、今日我々人類に福なるみ言中の福なるみ言であるということを知るべきです。
 「真の父母」というその名前四文字を考えるとき、「真の父母」によって歴史が治められ、「真の父母」によって新しい世界に入り得る起源が生まれ、「真の父母」によってサタンを屈服させることができる内的な因縁が決定し、「真の父母」によって外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が決定されるのです。それゆえ、「真の父母」と共に暮らし、「真の父母」の命令に従って行動することができる、この驚くべき恩賜に、皆さんがまず感謝しなければなりません。
 自分の人生をみな犠牲にする恨があっても、「真の父母」の行く道に同調できる道があるなら、我々人類の前に、これ以上の幸福なことがないということを知るべきです。「真の父母」の命令に従って、敵陣に向かって行進する兵士がいるなら、彼は人類が願う最高の希望の頂上の中で、天と地が直視し、歴史が注目する神々しい勇士であることを、我々はよく知るべきです。
 皆さんが「真の父母」の心情に代わって、あるいは、国家の民族に代わって戦うことができる立場に立ったとするならば、その心情によって、国家なら国家、民族なら民族が初めて幸福の園の門を開くことができ、行進して入り、勝利の栄光の場に参席することができるのです。そのような希望の国民と国家が顕現するという事実を考えるようになるとき、「真の父母」の心情の旗を掲げて立ち上がる皆さんこそ、歴史を呼び起こすことができ、希望の世界をもう一度審判することができる旗手であるのです。そのことを、皆さんは自覚するべきです。