第六章 「真の父母」と我々 : 第三節 「真の父母」の苦労と我々 : 五 我々が達すべき水準

 皆さんの夫婦、皆さんの一家で、これが起きるようになるときは、どのようになるのかというと、おじいさんが意自分の孫に対して、おじいさんのように侍らなければならないのです。
 天地開闢という言葉があるでしょう? お父さんが息子に対して、お父さんのように対さなければならないのです。なぜでしょうか。これは堕落した世の中であり、これは完全な復帰の世の中です。この峠、分水嶺を越えました。今まで上がるときは、世の中のすべてが完全主導しましたが、今は後ろからついてこなければならないのです。それで、国の王は、あのていたらくで行くのです。このようなすべてを知るべきです。
 皆さんの家庭に、「三大主体思想」のその実体を備え得る、真の兄弟、真の夫婦、「真の父母」が出てこなければなりません。実体存在です。真の兄弟になってこそ、真の夫婦が出てくるでしょう? 真の夫婦が出てきてこそ、「真の父母」が出てくるではないですか? 「真の父母」の位置に立てば、真の夫婦になるのはもちろんであり、真の子女になるのです。父母の意識、主体思想を中心として、そのまま対象的な立場に立って一つになるのです。愛で一つになるのですか。分かりますか? 愛だけがこのすべてを和合することができます。
 すべての元素も、微々たるものも、愛の道を訪ねていくのです。神様と一体となり得る、愛と直接接することができる細胞を訪ねていくのです。それが人間です。それゆえ、愛のためには犠牲にならなければならないのです。投入しなければなりません。生命と財産をみな投入した伝統があるために、級の低いものは、級の高いそこに自分のすべてを投入しようとするのです。
 それゆえ、ダーウィンの進化論ではなく、愛を中心として吸収する論理です。第二の価値的な内容を創造するところに創造要素として作用するときは、微々たるものである現在の立場から、どれほど価値が上がるでしょうか、というのです。

 これから最後に残る宗教とは、どんな宗教でしょうか? それは父母の宗教です。それで、父母の宗教が出てこなければならないと宣布したのです。「歴史が長くなったからといって、父母の宗教になるのではない。僕の宗教だ! 庶子の宗教だ!」と宣布したのです。
 公式の演説内容がそれです。「父母の宗教の使命を受けた、そのような責任者はこの壇上で、この大会の主題演説をするレバレンド・ムーンであることを、皆さんは知らなければなりません」。このように発表しても、世界が粛然としたのです。ですから、キリスト教では、「統一教会の文総裁が再臨主だとうわさが立った」と言って大騒ぎするのです。西欧社会では、人として主が来るなら、文総裁以外にはいないというのが結論です。
 君たちは、そんなことを考えもしないでしょう? 「文総裁が再臨主だって、私と同じなのに、韓国語を話してね。言葉はなぜそんなに早いのか」と、こう言っているでしょう? 忙しい歳月を治めるから、言葉まで早くなりました。言葉が早いから、逃げる者もひっ捕まえることができるではないですか? それで、言葉の早いのも研究して早いのです。日本語を話してもそうであり、英語を話してもそうで、誰も私についてこれません。
 では、皆さんはそのような先生に良く会いましたか、過って会いましたか? 良く会ったなら、良く会った人たちがうまくやるべきでしょう。こうして、宗教を中心として全部統合をしてきたのです。