第六章 「真の父母」と我々 : 第三節 「真の父母」の苦労と我々 : 四 我々に対する「真の父母」の期待

 ここに、西洋人たち、東洋人たち、まだらの人たち、本当にたくさん集まりましたね。何をしに、みんな集まりましたか? 何をしに、訪ねてきたのですか? 文総裁に会っても、あげることができるのは悪口しかありません。げんこつしかあげるものがないのに、それでもいいと、こうして来ているのです。それは何ですか? 愛を探して集まるジプシーの群れです。真の愛を探してくるのです。その味を知っているのです。働きばちが蜜の味を知ったなら、花の香りをかいで、千里の道も遠いといわずに、飛んでいくのと同じように、そうするのです。分かりますか?
 「真の父母」になるのはたやすくありません。私が「真の父母」の権限を引き継いであげるから、「引き継ぐ」と言う代表者がいれば、出てきなさい。私が「真の父母」になるということは、考えもしなかったのに、気がついてみると統一教会の責任をもって、行かざるを得なかったのです。それで、行ってみると「真の父母」になったのです。
 一番最初から、私が「真の父母」になるだろうということを知っていたなら、万民がみな分かったという理論になるのです。知らずに人生の根本問題を掘り下げてみると、ここまで来たのです。ここに曲折がこのようになったのを、みな解いてみると、「真の父母」のすべての解怨成就も起こり、神様が解放を必要としていることが分かり、その神様が私によって解放されたために、絶対的に文総裁を愛さざるを得ないというのです。
 こうして、皆さんが「真の父母」に出会って、何をしましたか? しておいたものが何ですか? 御覧なさい。先生は、今まで悪魔の世界でむち打たれながらも、家庭を守り、氏族と民族を経ながら、個人編成、家庭編成、氏族編成をしてきました。この統一教会の祝福家庭は、氏族を編成したのです。世界的です。
 それを今は、サタン世界がつかんでどうすることもできません。なぜしょうか? じっと見ると、暮らし方が素晴らしいのです。東洋人と西洋人とけんかをして、合うといってもいくらも暮らせずに、さっさと離婚するというそういう場面なのに、我々統一教会の人たちは、10年たってもいいし、20年たってもいいし、良く暮らすのです。