第六章 「真の父母」と我々 : 第三節 「真の父母」の苦労と我々 : 二 我々は「真の父母」に接ぎ木された枝

 本来人間は、横的な父母として、神様を縦的な父母として、縦横の父母の愛を中心として喜びの出発を見なければならなかったのです。それが、起源地でした。それがサタンによって侵犯されたために、これを再び奪って付けて、「真の父母」の息子、娘にならなければなりません。そうするためには、野生のオリーブになったために、真のオリーブの枝をもらって、接ぎ木しなければなりません。
 それゆえ、宗教は接ぎ木する仕事をするのです。これがキリスト教思想というものです。それで、新郎新婦の婚姻の宴が、この地上に現れなければいけないという言葉が出てくるのです。

 人類の希望は何かというと、「真の父母」に会うことです。そうでしょう? 歴史的結実とは何かというと、「真の父母」に会うことであり、時代の中心とは何かというと、「真の父母」に会うことであり、未来の出発の基地とは何かというと、「真の父母」に会うことです。そこに接ぎ木された皆さんは、枝になるのです。
 今まで、歴史時代の願いは全部未来にありました。しかし、今日皆さんの一生を中心とした「真の父母」の因縁は、永遠に一時しかないのです。一度しかない貴いものです。分かりますか? 皆さんの先祖たちも同じです。皆さんの後孫たちももてないのです。

 堕落によって、サタンが人類を全部連れていきました。地獄に全部連れていったのです。それで、このように行くここにおいて、神様が一つ、二つ、分けるのです。この世界は、サタン世界の野生のオリーブでしたが、そこで点の側のオリーブをつくりました。半分を中心として、民主世界のキリスト教を中心として、天の側の野生のオリーブをつくって、世界をリードさせておいたのです。このサタン側の世界が弱化して、キリスト教文化圏が強くなれば、再臨主が来て一遍に切って、完全に接ぎ木して一つにして、回して立てるのです。
 今日、右翼と左翼がみな滅びました。右翼、左翼がみな滅びるようになったのです。誰が、そのようにしましたか? 神様と「真の父母」が、そのようにしたのです。分かりますか? それで、このような解放を宣布すると同時に、真なる父母と一つになった家庭は、世界のどこにいても、今まで「真の父母」がやってきた道を相続したために、そこで「強く雄々しくあれ」と言うのです。そうなれば、神様とこの宇宙が先生を保護するように、その家庭を保護することによって、一国を消化するのは問題ないのです。これを宣布するのです。
 皆さん、今から「どこの信徒か」と聞かれたなら、「私は統一教会の信徒だ」と、誇らしく宣布しなさい。統一教会のメンバーとは何かというと、「真の父母」に属した者だというのです。我々は「真の父母」の子女だというのです。けんかをしないでください。けんかするのは、サタンを受け入れることです。分かりますか? 宣布して回りなさい。「我々はナンバーワン・ムーニー! ナンバーワン神様の子女だ!」と言いなさい。そうすれば、サタンが讒訴できません。sのような考えを確固としてもって回りなさい。分かりますか?

 我々のみ旨の帰着地が家庭です。家庭がなければ、神様の定着地がありません。すべての家庭は、「真の父母」を中心として繁栄するので、家庭がなければ何も成すことができないのです。木で言えば、幹を中心として枝が伸びるのと同じです。その枝を折って挿し木すれば、その木は繁殖していくのです。
 そのような枝の使命を完遂すべきなのが、宗族的メシヤです。幹からずっと東西南北に伸びて、大きくなることで、中心の根も大きくなるのです。その中心の根が大きくなるには、枝が大きくなることと比例的して大きくなるでしょう?
 それで、横的に大きくなれば縦的にも大きくなるのです。横的な基準を犠牲にして、ずっとこのように根が大きくなれば、枝もずっと上がるでしょう? み旨を中心として熱心にすれば、このようについてくるのと同時に、横的に拡大した力が圧縮されるために、「ため」に生きることで天宙をつなげることができる、という結論が出るのです。
 それで、夫婦を中心として行くとしても、神様を中心として縦的な基準に横的に奉仕の生活をすれば、そこで天宙統一圏が自動的につながるのです。このように一つになれば、必ず回ります。回っても倒れません。横的な基準があるために、倒れないのです。軸を中心として回るのです。必ず回らなければいけません。遠心力と求心力が一つになることによって運動するのと同じです。
 自分自身が無の境地になれば、自動的に回ります。回り始めれば軸も上がって……。下がるようになれば、自然に反動が生じるのです。それで、上がったり下がったりするのです。呼吸するように運動するのです。そのような完成型ののような人間が、天上世界で家庭を成せば、天国家庭の基盤になり、そのような基盤を築くようになれば、離れません。父母が行くところにおいて、共に永遠に侍ることができるのです。
 それゆえ、「真の父母」を中心として、心情的共鳴体を成し、その生活の体恤を基準にして永遠の心情世界の基盤になるのです。
 統一教会員は、「『真の父母』と共に、神様と共に生きていく」と言うでしょう? 「真の父母」の愛とともに生まれるのです。愛は永遠の因縁を結ぶため、愛の因縁は絶つことができません。死ぬときまで忘れられないのです。そうでしょう?
 父母は死んでいくときも愛の心情をもって、息子、娘を愛しながら死んでいくのです。夫や妻も同じです。愛を忘れて死んでいく人はいません。愛は、死を越えて、永遠とつながるのです。それで、愛による生命圏を受け継いだ自分、男性と女性というものは、愛の根本である父母を忘れてしまうことができないのです。
 父母は根であり、自分自身は幹であるとするなら、息子、娘は芽です。それが共に大きくなれば、氏族圏、民族圏、国家圏に拡大するのです。そういうものでしょう?