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第六章 「真の父母」と我々 : 第二節 「真の父母」の在世時に同参する価値 : |
この世に、「真の父母」が二組いることができますか? 今日、北韓では金日成を「お父さん」とし、統一教会では文先生を「お父様」と言っています。ですが、統一教会で言う「お父様」と、北韓で金日成を「お父さん」と言うのとは、質的に違います。二人が対立したのです。貴いものが出てきたために、大韓民国が貴いのです。この二人が、互いに「自分が父母だ」と言うのです。そして、神様も父母は自分のものだとし、サタンもその父母を自分のものだと言いながら、互いに争うのです。
これを公的に、誰が公判しなければならないのですか? 人間がしてあげるのです。人間が、「我々の父母は、このような方でなければならない」と父母を選定しなければならないのです。「堕落した父母はこのように悪い父母であり、善の父母はこのようにして善の父母です。善の父母を探してきたのは神様であるために、神様が善の父母の父です」。このように立ち上がって決定づけなければなりません。そうしなければならないのではありませんか? それゆえ、すべてはどこに帰結するのですか? 「真の父母」に会うところです。
それで、父母は二組存在することができますか? 一度死んだ父母が、千年後にも再びパッと現れますか? 人類の父母が一度現れるのが、歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いであるために、その父母が現れる時は、あとにも先にもない時であり、歴史上に一度しかない、てっぺんなのです。狭いといえば、どれほど狭いですか? 永遠の世界について見れば、人間の一生というものは、一息つくのと同じです。そうでしょう。
皆さんが、運があってそうなのか、福があってそうなのかは分かりませんが、このようにしてこの時代に生をもってこの一時に出会い、統一教会に入ってきました。統一教会にどのように入ってきましたか? 皆さんをこの場に入るようにするまでには、数多くの先祖たちが精誠を捧げに捧げました。数多くの人たちが滅び、善が踏まれる場で死んでいきましたが、その千人、万人の因縁を経て、回りに回ってその因縁が天につながって、日が昇る高い山のような立場に立ったために、そこで日の光を眺めて集まった人たちが皆さんなのです。
人類歴史において、この時は、愛という因縁が出てくるなら、それは初めて出てくる時なのです。それゆえ、生命の価値を賦与することができる時であるとするなら、その時から始まるのです。国と世界の主権をより価値のある内容で肯定させることができる時も、この時しかないのです。この時は、歴史の起源であり、希望の焦点であり、万福の出発点であり、永遠の生命の発源地なのです。そうすることができる時です。
堕落した世界は、未来の希望を探してきましたが、未来にはこの時が永遠の希望の基準になっていくのです。この時を中心として、皆さんがこのように進んでいくのを眺め、この時の心情を体得していき、世界を生かさなければならないのです。この時がそのような時です。考えてみなさい。それゆえ、そのような頂上の実体として来た「真の父母」は、「真の父母」の心情の位置に属し得る規範に従って暮らさなければならないのです。それは、みなさんには分からないでしょう。
その父母は、どのようにしなければならないのでしょうか? 善の父母であるために、悪の父母と違わなければならないのです。悪の子供については、どのように対するのでしょうか? 歴史上のどの父母よりも、厚い徳をもって対さなければならないのです。
このような悲惨な運命に処した子供に対する父母の立場に立っても、そこに引っ掛からないで、むしろ泣きながら追いかけて、万世の恨とともに哀願し、たとえ互いが過ったとしても、別れるのが嫌で慟哭する姿になるべきなのではないかというのです。そのような立場に立つべき「真の父母」ではないかというのです。違うのです。父母としてもつべき心情的姿勢がどうだったか、そのような何かがあるのです。
そのような父母を迎えることができる子女として、備えるべき心情的な姿勢と規範はどうですか? それがなければならないのです。万国の孝行者を代表した姿でなければなりません。世界マラソン大会に出場した各国のチャンピオンと同じで、自分の氏族の前に選出されたチャンピオンにならなければならないのです。何をするためのチャンピオンですか? 孝行するためのチャンピオンであり、忠誠を尽くすためのチャンピオンです。皆さんが、そのようなチャンピオンの群れにならなければならないのです。このようなことを考えてみましたか?
子女はこうであるべきであり父母はこうであるべきだ、というそのような意味では、統一教会の先生という人は、根が違います。その時を逃すようになれば、億千万年の恨を残すでしょう。お金で買うことができるでしょうか? 知識をもって買うことができるでしょうか? 自分のその何かをもって合わせることができるでしょうか? 絶対できません。自分が引っ掛かっている世界、自分が引っ掛かっている民族、自分が引っ掛かっている氏族、自分が引っ掛かっている家庭にいる荷物を一遍に背負うといって、その場を引き継ぐことができるのですか? それもできません。
共産世界を滅ぼし、民主世界を滅ぼす恨があったとしても、これは滅ぼすことはできないのです。30億の人類を全部犠牲にしたとしても、これを侵害させてはいけない、と神様が御覧になるでしょう。このように考えるのです。
このような焦点上にいる皆さんが、言いたいことをみな言うことができますか? 自分が言いたいことをみな言って、孝行者になる道理がありますか? 自分が言いたいことをみな言って、したいことをみなして、忠臣になる道理がありますか? そうはいかないのです。
現在の立場は、どのような立場でしょうか? 「真の父母」を中心として、同時代に処した時です。これは、一生に一度しかないのです。歴史の多くの流れの中で、魚の切り身でいえば、一番真ん中の切り身なのです。そのような期間です。
神様のみ旨から見れば、韓国の一番大きな教団の教会堂が、神様を代表して祈りを捧げることを願うにもかかわらず、雪の上でひざまずいて、礼拝の代わりに慟哭しながら、哀れなこの教会、この殿堂を救ってくださいと祈る立場……。何のことか分かりますか? この統一教会を立てるにおいて、悲痛な歴史の摂理的内容があったことを知るべきでしょう。
しかし、今は各国が歓迎するのです。アメリカでも今、朝野で問題になっています。日本でもそうです。ヨーロッパもそうです。統一教会の祝福家庭が初めて人類の希望的な家庭として、家庭の崩壊を防御することができ、青少年の淪落を防御することができる道だと、希望的な一つの灯台のように考えることができる段階に入ってきたのです。そうするためには、先生の血肉がどれほど削られ、恨の涙と曲折をどれほどたくさん経たかを知るべきです。
誰も祝福家庭のカップルを離すことはできません。神様がそう願うのです。それを知るべきです。その一組が祝福を受けるためには、天は多くの血族を通じて、手を経て、一時に先生に会わせたのです。それは偶然のことではありません。歴史的な事件です。
「真の父母」が生きる当代に、共に生きているということ、同じ空気を吸って、同じ時代に地球上で共に生活をしているということは、驚くべき事実です。それに先立って、祝福の基盤を受け継いだということは、驚くべき事実です。百万長者が問題ではありません。ここの大宇や現代のなにがしが問題ではありません。先生が皆さんのようであれば、今日の統一教会は生まれたでしょうか。行く所々に監獄を目標として、直行するのです。監獄の正門を通って、裏門から出ていくのです。皆さんは、それを知るべきなのです。
先生が暮らすことのできる家庭、先生がとどまることのできる教会、先生がとどまることのできる一族を探していくにおいて、今は、世界の版図をみな築きました。そこに備え得る外的条件を、みな築きました。世界の学会、「PWPA」(世界平和教授アカデミー)百カ国以上、言論界の組織、その次に頂上会議、これはこの世界を動かし得る頂上のクラブですが、みなつくっておきました。また、心を代表した宗教圏連合、体を代表した政治圏連合として、「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」をつくったのです。
私個人で、体と心の闘争歴史として分かれたものを、今終わりの日に来て、収拾せずには、人類の生きるべき道を収拾する道理がないのであり、平和の世界に行く道がないために、一人でこのようなことをするのです。反対されながらも一人でやるのです。